ひこくろ

トラペジウムのひこくろのレビュー・感想・評価

トラペジウム(2024年製作の映画)
3.2
(かなり長いうえに、わりと攻撃的で批判的な内容なので、この映画が好きな人は読まないことをおすすめします)

好きな人には申し訳ないけれど、作りも内容もかなり嫌いな映画だった。

原作を読んだ時にも感じたことだが、とにかくあらゆるものの都合が良すぎる。
都合のいいメンバーが都合よく出会って、すぐに仲良くなって、とんとん拍子にアイドルになる。
そして、その後も、都合よくメンバー間で揉めて、ぶつかり合ってって、まるで出来レースのように進むのだ。
この流れを、読みやすい、観やすいって感じる人もいるのかもしれないけれど、一度鼻に突くと気になって仕方がなくなる。

でも、嫌いな理由の大部分はそこではない。
この映画のたぶん土台となっているだろう考えがとても受け付けないのだ。
それは主人公の考え方にまずは端的に現われてくる。

主人公の東ゆうはアイドルに憧れていて、アイドルになるためならなんだってやる。
利用できる人や物は利用し、用済みになれば簡単に捨ててしまう。
誰もがアイドルに憧れるものだと信じ、そうでない考えを一切認めようとしない。
アイドルになることだけを神聖視してほかの三人のことを考えもせずに突き進む。

もちろん、これは作者の考えでも、作品の考えでもない。
ゆうがどうしてもみんなに「アイドルになりたい」と言えないでいるという設定からもそれは感じられる。
物語としても、ちゃんとゆうの思想は壁にぶつかるし、ついには破綻さえしてしまう。
「それはおかしいよ」という声までもしっかりと入れられている。

ただ、これは作りの問題なんだけど、この映画はほぼ一人称に近い形を取っているので、ほかの子たちのそういう意見よりも、ゆうの思想のほうが目立ってしまうのだ。
というか、かなり後半に至るまで、ほとんどがゆうの物語でしかないのだ。

そして、とどめは、あの結末と、いいも悪いも含めて昔の自分を褒めてあげる、ってところ。
こういうのを見せられると、どうしたってその背後にある作者や作り手の「アイドルは素晴らしいよ!」って思想を感じてしまう。
しかも、その思想は、無批判、無自覚なもので、ある意味、妄信的な信仰のようなものだ。

理由も理屈もなく、ただアイドルを礼賛する。
それは、冒頭からの東ゆうの姿と重なって、僕にはたまらなく気持ちが悪かった。
原作者が現役アイドルってことが余計にその気持ち悪さを増加させる。
無自覚で絶対的な自己肯定を、少なくとも僕は受け入れられない。

なんだろう。これは完全に感覚的なものだから、僕の考えを全否定してくれる人がいてもいい。
僕がこの映画をまったく肯定できないのと、気持ち的には同じことだと思うから。
ただ、それこそ感覚的なことだけで言うと、僕は昔「努力は必ず報われる!」と叫んでいたアイドルと同じ気持ち悪さを感じてしまったのだ。

もっとも、本気でアイドルを目指している女の子が観たら受ける印象はまったく違うのかもしれない。
そればっかりは、正直に言ってわからない。

気持ちを除けて言うなら、東ゆうの人物造形は面白いとも思った。
ここまで性格の悪い主人公ってのはなかなかいない。その考え方だって魅力的だ。
蘭子はいまいちわからなかったけど、くるみや美嘉の性格や物語にも惹かれる部分は多かった。
工藤真司という男のキャラも、ゆうと対照的に描かれていてとてもいい。
アニメーションもしっかりと作られていて、映画としても十分な出来だと思う。

ぶっちゃけ、原作は好きではなかったけど期待はしていたのだ。
でも、ここまで感覚的に嫌いになるとは思ってもいなかった。
登場人物に対する嫌悪とかではなく、制作意志に対する嫌悪感。
例えは悪いと思うけど、これは戦意高揚のプロパガンダ映画を観せられた時の嫌悪感に近い。

本当、言いたい放題でごめんなさい。
好きな人には心から謝ります。
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