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戦慄の七日間のnoteのネタバレレビュー・内容・結末

戦慄の七日間(1950年製作の映画)
3.7

このレビューはネタバレを含みます

ある日、ロンドンの首相邸に、一通の手紙が舞い込んだ。送り主は、国立科学研究所勤務の核兵器研究者ウィリントン教授。手紙には、「イギリス政府が核兵器の製造を中止しなければ、新開発の爆弾を一週間後にロンドンで爆発させる」という爆破テロ予告が書かれていた…。

第二次大戦直後の1950年の作品のため、現在の映画のような迫力はないが、刻々と迫る予告時間と爆弾の行方をドキュメンタリータッチで捉え、最後までテンポと緊張感が途切れないタイムリミットサスペンスの秀作。

開発を止めさせるために、開発者自らがその爆弾を使って如何に危険か、威力を示そうとするというのが、なんとも皮肉。
自分の研究成果が人類や文明を破壊する兵器として利用されることを嫌悪する科学者の良心が、開発中止の使命感から次第に狂気へと変わってゆくのが恐ろしい。

半信半疑のスコットランド・ヤード捜査課長が、念のため研究所に連絡してみると、爆弾と教授は行方不明となっていた。
教授が宣言した期間内で、果たして教授を逮捕し、爆弾の回収が出来るのか?

警察と軍隊が一体となった大捜索が始まるが、教授は市井の中に巧みに溶け込んでしまう。
教授を演じるバリー・ジョーンズの手配写真が、新聞に掲載されたり、至る所に貼られるのだが、何とも絶妙な「普通の中年男性」の写真。
禿頭に口髭にスーツという程度の特徴を持つ男性などロンドンに山ほどいる。
あまりの特徴の無さに、口髭を剃っただけで誰にも気づかれないのは笑えてしまう。

捜査陣の努力にもかかわらず、教授の行方は皆目わからず、教授の指定した爆発時刻は、次第に近づきつつあった。
そして、その日、ロンドン市は非常事態のため、ついに無人の街と化す…。

教授がカバンで持ち運ぶ小型核兵器が現在の技術でも不可能なサイズであることや、放射能の安全管理はどうなっているのか?など、無理な設定なのが残念だが、戦後間もなくの時代に、新たな危機感に怯える緊迫感は充分にある。

ロンドン市民が首相のテロに屈さない方針のラジオ演説を聴いて、多少の混乱は有るものの統制された疎開をする描写は見事。
そしてCGのない時代、無人と化したロンドンの静寂さがリアルで怖い。

疎開の同行を禁じられたペットが駅に残され、放置された動物園の獣たちが不安げにうろつくのは実に哀れ。
無人化した商店街では、略奪を謀った暴徒があっさりと軍人に射殺される。

そんな冷ややかな描写の中で、逃避行中の教授を、ひょんな事から家に泊める売れない女優の気さくな振る舞いには、ユーモアが感じられる。

クライマックスは、あと数分で教会で神に祈る教授が軍人に発見される。
とうに疎開したと思っていた娘が説得に現れ驚く。
娘を巻き込む罪悪感に「もう手遅れだ!」と叫び、神に背くように教会を出た教授は射殺される。
現代の映画なら爆発してバッドエンドだろうか?
開発に携わっていた教授の部下が、ギリギリで爆弾を解体し、事なきを得る。
冒頭のビッグベンの鐘の音が、ラストはロンドン終焉ではなく、無事を知らせるのが洒落たエンディングだ。
サスペンスな描写のみならず、各所で英国的でブラックなユーモアも醸し出され、充分に娯楽映画として楽しめる作品である。
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