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水深ゼロメートルからのnetfilmsのレビュー・感想・評価

水深ゼロメートルから(2024年製作の映画)
3.7
 夏休みを迎えた高校2年生のココロ(濱尾咲綺)とミク(仲吉玲亜)は、体育教師の山本(さとうほなみ)から特別補習としてプール掃除を指示される。その時点で先生とどうしても単位が欲しい生徒との主従関係はほとんど明らかだろう。水のないプールにはただただ砂だけが舞い込み、風により野球部グラウンドから舞い込んで来た砂は黄砂をも巻き込み、徳島の地面に堆積する。二人が渋々砂を掃き始めると、同級生である水泳部のチヅル(清田みくり)や水泳部を引退した3年生のユイ(花岡すみれ)も掃除に合流して行く。この奇妙で緩やかな女性同士の連帯は互いが互いを意識し合うことで少しずつ感応し合う。初日の舞台挨拶で山下敦弘監督は中原俊の傑作『櫻の園』のような質感を意図したというが、それにしては原作者で現役高校生である中田夢花さんのフェミニンな世界に敬意を表するというか、本格的に肩入れして行くのが印象的だった。

 実際に今作は高校演劇舞台化プロジェクト第二弾として、城定秀夫監督の『アルプススタンドのはしの方』に続いて製作された。まずは演劇として上演されたらしく、Youtubeに挙がっているという徳島版を観てみたが、なるほどオリジナル版にはある種の大らかさの反面、思春期の少女たちの少年性への憧れや嫉妬が見事に内包されていた。実際に確認出来なかったが、濱尾咲綺と仲吉玲亜と花岡すみれのアンサンブルはブラッシュアップされた商業演劇版からのキャストである。そこに清田みくり扮するチヅルが中学からの同級生男子に秘かに恋する印象的な少女として青春群像劇に加わる。思春期の少女たちの揺らぎは乱反射する水の煌めきで現わされるかに見えるが、プールには水がなく乾いている。この辺りの飢餓的なイメージの膨らませ方が少女たち4人の心の揺らめきを表現する。阿波踊りの男踊りがしたい少女も、水泳部の部長でありながら、大した成績も残せぬまま引退した少女も、努力家で中学の同級生だった少年に恋しながらも、身体的成長に苦しむ少女もまた自身の女性性に葛藤する。

 その辺りの自己矛盾が一番滲むのはココロ(濱尾咲綺)で、メイク命で自分は鏡を見て可愛い自分でいることが生きがいであり、アイデンティティだという。然しながらその行為そのものが男性の目線ありきであることに当の本人はまるで気付いていない。その辺りの痛々しいまでの自己承認欲求への独白が実に見事で、彼女たちはそれぞれに自分らしさの呪いの中に縛られている。それは体育教師の山本先生も同様ではないだろうか?山本先生とココロとの生々しいまでのやりとりというか口論の瑞々しさは中田夢花さんならではの異議申し立てに見えた。女性が女性として生まれた以上は、どうしても女性としての規範や見えないレールが存在するし、それを男性たちは永遠に自覚することはない。おそらく山本先生はココロのような高校時代を過ごしたに違いない。女らしさの呪縛から先生らしさの呪縛へ。水のないプールのタイルに刻まれた終点のサインが心なしか女性たちに象られた雁字搦めの十字架に見えた。
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