デニロ

水深ゼロメートルからのデニロのレビュー・感想・評価

水深ゼロメートルから(2024年製作の映画)
3.5
山下敦弘監督作品ということで出かけます。昨年から新作の公開予定が目白押しで、どこか身体が悪くて急いでいるんじゃなかろうかと気になってしまう。

物語りを追いながら、子どもっぽくて起伏のない話だな、と思った。後に解説を読んでいると徳島市立高等学校が四国地区高等学校演劇研究大会で受賞した作品の映画化だという。『アルプススタンドのはしの方』と同系の作品ということだった。とはいえ、本作の前に徳島市立高等学校の演劇部顧問が映画化していて、その作品はYouTubeでも観ることができる。

夏休みの高校の風景。体育の授業の補習として呼び出された女子/ミクとココロ。体育教員から、プール掃除をあてがわれるけれど、来てみたら水が抜いてある。体育教員曰く、底に溜まった砂を全部掃き出しなさい。はい、竹箒と塵取りとバケツ。はあ?

作者は高校3年生の中田夢花で、本作でも脚本を担当している。女であることを呪詛するような台詞の数々。今どきの高校生は世界をこんな風に思っているんだろうか。ココロという女子がかなりネガティブな言い方で/女は女らしく、頑張らなくっていい/可愛くしてれば守ってもらえる/・・・、こんなセリフ最近観た映画にもあった。『子猫をお願い』での/いま、あんたにとって大事なのは何?/服よ!/というファッション番長の台詞。この韓国作品2001年の製作だった。制服を着てやんややんやと毎日がお祭り騒ぎだったけど、制服を脱いで世界に飛び出したら何もなかった。世界は平等ではなかった。人はお金の前でしか平等じゃないんだ!という悲痛な前提をもとにもがく青春。2024年、日本の高校生は果たして。

ココロにしたって本気でそんなことをかんがえているんじゃないと思いたいけれど、更にチヅルという曲者が登場してわけの分からぬジェンダー論を展開する。彼女は、3年生引退後、水泳部の新部長に選出されたのだけど、幼馴染の野球部のエースに水泳の記録で負けてしまって、中学までは負けたことなかったのに!と悔しがったり、インターハイの予選で失敗して本戦に出られなくなって、もう水泳やめる!といってみたり、スカッと爽やか高校生というわけでもない描き方は、運動といったら登山と学生運動しかしたことのないわたしには笑いどころです。チヅルにしたって何かを誰かにアピりたいんだろうけれど、そんなこともハズいから誰からも見えない水のないプールの底に沈み込んでいる。そして、愛憎半ばの野球部エースの下に啖呵を切りに行くのだが他の部員に面白がられるやら呆れられるやら。

そんな中、ミクは淡々と砂を掃いているのですが、この少女には何やら謎めいた役割を振り当てたのではないかというそんな雰囲気を纏わせている。それは後々にわたしの勝手な思いの増幅であると気付くに至るのですけど。それは何かというと、この地は徳島県、徳島といえば阿波国、阿波国といえば阿波踊り。彼女は踊り手なのだそうで、しかも男踊りを小さなころから踊っていて今年も男踊りを踊りたいんだけど、という出だしなのです。ココロやチヅルから恥ずかしくないのかなんて気にされるけど、踊るときは晒を巻くからなんて言って身体の変わっていく自分と男踊りがマッチしていなくなっているのを感じてきたところなのです。だから、男踊り踊って見せてよ、と言われても頑なに断り続けます。ここがわたしのど勘違いの発端でここでクィアの要素を入れている、とそんな風にかんがえてしまったのです。

そこまで話は複雑ではなくて、高校生ならではの保護された存在というあいまいな自分にモヤモヤとした憤りを感じて、自らが生んだ目に見えぬ焦燥に押しつぶされそうにアップアップしてしまうあたりは、既にその季節を通り過ぎたわたしの肉体でさえ覚えているものです。頭でなんかは理解できません。若いという字は苦しい字に似てるわ。体育教師/さとうほなみだって、か細い女子の毒々しい血叫びを豊満なカラダで受け止めてはいるんです。水のないプールでは自由に動けないってことを。

あ、ラストの雨は、/ドブネズミみたいに美しくなりたい/写真には写らない美しさがあるから/もしも僕がいつか君と出会い話し合うなら/そんな時はどうか愛の意味を知って下さい/(リンダ リンダ/詞:甲本ヒロト)の学園祭の続きですよね。
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