2001年公開(日本では2002のようです)ということで、この年「集団的自衛権」を発動したアメリカを中心としたNATO軍による攻撃の正当化にも使われた、という話を目にしたのですがどの程度そうだったのか、想像しにくいですね。
というのも、この映画がターリバーン政権下の市民の苦難を告発するものだったのは間違いないのでしょうが、その表現は煽情的ではなく、むしろ無知な私の感覚からはかなりシュールなものに映ります。
パラシュートで落ちてくる義足を追いかける松葉杖のひとびと、売り払うつもりで義足をたかりに来てそうな怪しげなおじさん、死者から奪った指輪を売りつけようとする少年、ムスリムと認められるために付け髭をする男、それらは画面の中ではむしろ幻想的でユーモラスなほど。
その自分が感じてしまう滑稽さや面白さと、五分に一人が死んでいて、可愛らしい人形には爆弾が仕掛けられ、女性はブルカを強要され一人で出歩くことができない、そういった当時の現実をイメージしたときの混乱が、この作品を特定の時代と場所にとらわれないものに感じさせてきます。
抑圧的な状況下でもひとは当たり前にずるさや善良さをあわせもつ存在で、だからこそどこであれひとをニュースの中の可哀想な被害者にかぞえて終わらせてはならないのでしょうね。
また、中盤で登場する医師は対ソ連の紛争のときに兵士としてやってきたアメリカ人ですが、彼の存在は今となってみればどこかこの後に起こる「対テロ戦争」の危うさを予見するかのようにすら思えました。