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ピアノ・レッスン 4Kデジタルリマスターのshoのネタバレレビュー・内容・結末

2.0

このレビューはネタバレを含みます

スチュアートに若干感情移入して苦しい気持ちで見た。試写会開始前のトークイベントで、当時の「あるべき男性像」から外れているという意味で、ベインズはちょっと変な人という話があったがスチュアートもじゅうぶん変な人に見えた。おそらく支配するという方法でしか誰かと関係を築くことを知らなくて、なのにエイダに対して無理やり何かをしようとはせず常に受動的な態度でいるので、スチュアートもあるべき男性像からは距離がある不思議な存在に見えた。おそらく本人はあるべき男性になりたいんだろうけど、本人の性分的になりきれないのが哀れで一抹のいとしさを感じた。(第三者視点ゆえの同情かもしれない)
現代的な視点から1920年代の物語を見ているがゆえに生じることなのかもしれないが、エイダが自分の「想い」を伝えるために言うことを聞いてくれる(聞かせることができる/支配できる)子どもを使い走りにやるところでなんだか興醒めしてしまった。支配的関係に頼ってしまうのもみんな人間だから仕方ないね、というような寛大な気持ちにはなれなかった。スチュアートもベインズの床下(あの場面自体は滑稽だった)を経てからすっかりおかしくなっていていたのでおあいこ?なのかもしれない。
誰か聞いてくれる人がいないことにはコミュニケーションは成り立たないこと。自明ではあるものの必ずしも言葉だけがコミュニケーションではないこと。スチュアートに感情移入したりあんまりしっくり来なかったりしたのは私自身が言語優位だからかもしれない。
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