カシツルワバラアユアイカム

プラットホームのカシツルワバラアユアイカムのレビュー・感想・評価

プラットホーム(2000年製作の映画)
4.2
早稲田松竹にて、山河ノスタルジアとの二本立て。
あとから、気づいたけど、本当に濃密な時間の体験だった。
ほとんどが固定カメラのロングショットで、引きのときなんかはみんながどんな顔をしているのかすらもよくわからない。
たくさんの人が出てきて入り乱れてわけのわからない会話をしては消えていく。
大筋で言えば、1つの劇団の人々のロードムービー的なものなのだろうとわかるのだが、大きなわかりやすい物語は自分が認識できる範囲ではほとんど、見られなかった。
ただ、確実に映画の世界における時の経過と、その映画をみている自分の知覚空間の中における時の経過を圧倒的なまでに感じた。
二時間半弱の映画でありながら、体感としては、大げさでなく、一週間くらい早稲田松竹のシートに座っているような感覚があった。
それは単に長尺で、冗長でといった体感ではもちろんない。そういったときに感じる退屈な感傷はほとんどなかった。
まるで精神と時の部屋みたいな映画だった。

山河ノスタルジアが、個人における人生の変遷、時の経過を描いていたとしたら、こちらはもっと多くの、1つの劇団というコミュニティを越えたもっと大きな世界の総体としての時の経過が描かれていたように思う。

ぼくは普段から映画をみていて、細かい事を覚えていられないタチなのだが、この映画にいたっては、ほんとになんにも覚えていない。といったら、嘘になるけど、まぁ全然覚えていない。
いわゆる映像的記憶としての記憶はあるにはあるけど、それがどんな動きをしたのか、意味があったのかといった点においては何も覚えていない。
なんだか画面の中のみんなは、ひたすらタバコをすって、ひたすらなんかモノを食べていたなぁ。
この映画を、見終わったあと、圧倒的に時間が経ったんだな、という体感が絶対的にそこに残った。

映画体験として、久々に強烈だった。

ちなみに、ぼくは映画館でよく眠る方で、そのときに、半分夢をみながら、映画の世界と夢の世界を行き来するのが好きなのだけど、この映画をみて、途中眠ったとき、その映画中の数十分の居眠りの中での体感も他の映画をみたときよりも圧倒的な量を持っていた。

ものすごい映画だった!