ヨミ

ミレニアム・マンボ 4Kレストア版のヨミのネタバレレビュー・内容・結末

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このレビューはネタバレを含みます

2001年。台北、夕張、新宿。
薄暗闇に立ち上がる身体がわずかに差し込む光を受けていた。

ここにたしかに生きていた人たちがいて、いまもいる。おそらく40歳から50前後。彼女ら彼らの、眩かった世界。色滲みと少し足りない解像度と、というのは当時の撮影メディア条件が作り出した幻影にすぎない。ぼくたちが見ていたような景色を、とうぜん見ていたはずなのだ。
冷戦の終わりから10年余り、(日本はともかくとして)揺籃の時代に突入していた刹那だったはず(どうも台湾はアジア通貨危機の難を逃れたらしい)。それを「Y2K」というファッションのことばで括るのは気が進まないが……まあ映画は観に来てもらう必要がありますからね。

主人公のヴィッキーは基本的に(時代のごとく)刹那的に生きて、そして常に依存的なのだが、まあいまもいますよねこういう大学生。酒、タバコ、ドラッグ遊び、クラブ、セックス、退学。というか100年単位でこういうのはいるわけだが、そこに(まだ生きていたころの)夕張が挿入され、山奥の雪の風景と映画看板の通りと、終わった炭鉱とが空気を形作る。過ぎ去ったものと過ぎ去ろうとしているいま。そこに生きる80歳のおばあちゃんを見る目と、夕張を見る目は同じなのだ。
新宿。最初に映るのが山口那津男のポスターなのは笑える。待ち人は来ない。アンテナを伸ばすタイプの携帯(ケータイ)の録音だけが鳴る。雪が降る東京、というアナウンスがかかって画面はまた夕張へ。ずっと断片と思い出だけがある。うたた寝するときにかかっているのを聴いているような音楽がずっと響いて、ずっと遠い話を観ているような気分になりながら、それでもここがあったのだと感じ続けていた。もうないのだ。
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