海

旅芸人の記録の海のレビュー・感想・評価

旅芸人の記録(1975年製作の映画)
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私は沈黙する。この美しい雪景色は、かつて貴方が踏み固め、爪で掻き、すがりついて涙した地。別れを惜しむように長い間一つの風景を捉え続けるカメラ。淋しげな海、白い洗濯物、雪の中の道、幾つものトランク、壁を背に並べられた人と、彼らに銃口を向けた人。次の場面に移り変わったあとも、わたしはまだ別れを言えないまま前の景色の中に取り残されている。何も起こらない時間の中に、一体どれだけの思いが留め置かれているか知らない。言葉で埋める隙さえもあたえないような沈黙に対し、どれだけのひたむきさを持てば、わたしは傷だらけになったあなたを見つめ、語りあうことができるだろう。言葉は厳密に選び抜いて使わなければならない。映画が歴史を語る、権力や思想のもとで人が人を殺す。わたしは戦争を知らない。この国が好きかと聞かれ、好きでも嫌いでもないと答える時、膝を抱えて自らを守る必要もない。このひとたちの背中に膨れる畏怖も誓いも、追って抱きとめることはできない。ただ遠い景色の中に、わたしの愛してやまない、テオ・アンゲロプロスの撮る海、の中に、これまでに受け取ったあらゆる思いを抱えて身を投じながら、睫毛からこぼれおちてく砂に、瞬きをするしかなかった。時代の中で振るった拳は、時代の中に消えゆくだろう。それでもと、傷ひとつないわたしの手に、かつて失われたすべてを握らせる、傷だらけのあなたの手。
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