YasujiOshiba

グローリア!のYasujiOshibaのレビュー・感想・評価

グローリア!(2024年製作の映画)
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文化会館。24-66。なぎちゃんと。どうして音楽史のなかで、女性の作曲家の名前が思い浮かばないのか。いないわけではない。いたはずなんだという物語。

ひとことでいえば、『ダンサー・イン・ザ・ダーク』に『木靴の樹』のスパイスを振って、19世紀に覚醒してゆく女の子たちの生き様を、いろいろあるけど最後は明るく前向きにとらえようとする意欲作。

監督のマルゲリータ・ヴィカーリオはポップスのシンガーソングライター。映画についてのキャリアは演技から始まり、この作品で監督デビュー。だから音楽が主人公になる映画を撮りたかったのだという。だけどそれはミュージカルではない。ではどんな映画なのか。

発想の出発点はヴィヴァルディ(Antonio Lucio Vivaldi, 1678 - 1741)にあるという。マルゲリータ・ヴィカーリオは、ヴィヴァルディの音楽が、当時各地にあった女子孤児院の音楽家たちと演奏から大きな影響を受けたという史実に着目すると、舞台を1800年のヴェネツィアの聖インニャツィオ音楽院におく。そこは孤児の女子に音楽教育を施すカトリックの施設。だから映画は、ジャンル的には女子寄宿舎もの。そこがよい。

クライマックスは、同じ1800年に新しい教皇に選出されたピウス7世の訪問。そこで新曲を披露することになるのだけれど、聖職者であり音楽院のマエストロでもある神父は、もう新しい曲を作る力がない。そこで、予想通りに、女の子たちの作品が演奏されることになる。それは物語の必然というやつだからよい。

ポイントはそれをどう描くか。この演奏会の音は、自由で反体制的で反教会主義的なもの。その音とリズムに、女子と子供と下々のものは大喜びだけど、17世紀的な音楽教育のなかで育ち耳が固まっている貴族や聖職者には、とんでもない冒涜的な音になる。そういう設定。

その設定はわかる。問題はそこにノレるか。音は悪くない。面白い。けれど、もう少し自由で激しくても良かった気もする。一方で、あれでよかったのかもしれないなとも思う。なにしろエピローグでその意図は十分に伝わってきた。フランス革命で自由・平等・博愛の理想に感化されたのは、なにも共和主義者だけではなく、女性たちもそうであったのでり、だからこそ彼女たちはパリのスタール夫人(Anne Louise Germaine de Staël、1766 - 1817)のもとで演奏することを夢見て、それを実現させることになる。

そんなト書きは、ト書きとして悪くない。ようするにフランス革命とフェミニズムとそして女性の音楽家たちというわけだ。でも、クライマックスの演奏会に登場するピウス7世は、ちと唐突すぎるかもしれない。声だけで終わりにするのかと思ったのだけど、本人の姿を映し出す。絵面はたしかにウィキペディアの肖像画にそっくり。でもその肖像画が女の子たちの音楽に動揺して、みんな破門だと叫んでしまうところは、なんだろう、とってつけたような気がしてしまう。少し盛り上がりかけるかもしれない。

まあそうは言っても、演奏は全て本物のバロック器楽を使ったというし、それだと弦楽器の主に羊の腸を素材にしたガット弦なので、見た目は古楽器だけど(でも素人のぼくにわからなかった)、ピッチがどうしても半音下がってしまうので、音合わせや編集が難しかったと監督さんが語っていて、ああそうなんだろうな、苦労したんだなというのがわかった。「今でも頭痛いもの」とかおっしゃってたっけ。ご本人にはクラッシックの素養はないと認めてらっしゃったので、逆に思い切った挑戦できたんじゃないだろうか。

それでも、ほんとうに破茶滅茶にしてしまうなら、古楽器なんか使わずにエレキのアンプを持ち込んじゃえばよい。だけれど、そうするとせっかくの19世紀初めの女子音楽院寄宿舎の雰囲気がぶち壊しになるし、アメリカン・ミュージカルになってしまう。マルゲリータ監督、そういうの大好きだけど、自分としてはやりたくないんだって。音楽は主役だけど、ミュージカルではないという。そのあたり難しいところよね。

でもこの監督デビュー作は、次回作に期待を持たせてくれる出来だと思う。ぼくが引き込まれたのは、地下室に置かれたピアノ・フォルテを囲んだ女の子たちが、自由に音楽を奏でるところ。あそこで新しい音楽と古い音楽がぶつかりながら融合してゆく。冒頭の子どもたちとの音楽遊びへとつながってゆく。それも新しい時代の女の子たちの手で。それってまさにコンタミナツィオーネ。それってジャズ。それってファンクだよね。まさに音を楽しみ、ミューズが喜ぶミュージック。

なぎちゃんも感動してたし。女の子たちよ、がんばれ!

追記5/1
有楽町朝日ホール

上映後に監督さんがあげてくれたなだ、こんどは書きとった。Maddalena Laura Sirmen の名前は覚えておこう。今に伝えられる数少ないこの女性音楽家は、映画の中でルチア(カルロッタ・ガンバ)にその姿を見ることができるのだろう。

Maddalena (Madelena) Laura Sirmen (oppure Syrmen) nata Lombardini (Venezia, 9 dicembre 1745 – Venezia, 18 maggio 1818)

https://it.wikipedia.org/wiki/Maddalena_Laura_Sirmen



一方のテレーザは時代を超越している。最初のセリフで愛のある「ノー」を力強く発するのはフランスの女優さんガラデーア・ベルージ。監督さんも言っていたけど、目がいい。あの大きな目。時代を超えて愛するものを見つめる目。

彼女のそんな眼差しが見つけるのは、やはり時代を超えてゆこうとする楽器ピアノフォルテ。この楽器が音楽を変えてゆく。だからこそ救済院の院長からは悪魔とみなされる。なぜ悪魔の楽器なのか。時代の変わり目、バロックからロマン主義の境目にあって、過去を反復するだけの権威にとっては、悪魔的だということ。

まあ、エレキギターだって不良の楽器だったからね。
YasujiOshiba

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