シーケー

成功したオタクのシーケーのレビュー・感想・評価

成功したオタク(2021年製作の映画)
3.6
 自分が女性地下アイドルのオタクでK-POPも聞く人間なので、色々な角度で面白かった。ここでは題材となる推しの犯罪にどう向き合うかという大きなテーマについてしぼって書く。
 「自分は加害者か、被害者か、その両方か」というモノローグが象徴的だったが、冷静に考えればメンバーとのコミュニケーションがごく限られた環境では、起こした事件においてオタクは加害者でも被害者でもなく、推しと自分の本質的な関係のなさを自覚するしかない。悲しいことだけど。(それはコミュニケーションが多い地下アイドルでも大きくは変わらないだろう)
 一方的に好きな人が自分と関わりないところで何をしても、それに対する気持ちをぶつける先を求めるのは不毛だ(一般的な犯罪に対する公的な対処を求めることはできるだろうが)。
 こういうことは現実的には親が言いそうだが登場する母親は同情的だし、他の登場した人からもそういう発言は出てこなかったように思う。
 監督は成功している。徐々に明らかにされるファンとしての有名さや学年一位でソウル大学への入学、登場するオタクたちとのよい関係、この映画を撮っていること自体まで成功している。たくさんのすばらしい成果を得ている。でもそれと事件とは別のことだ。
 アイドルのオタクにははたから見れば失敗しているオタクがたくさんいる。借金をして破綻するオタク、オタクがバレて恋人と別れたり離婚をするオタク、金のために夜職で働くオタク、容姿や性格の問題で推しに嫌われるオタク、裏切りを感じて推しを傷つけるオタク、正義感で不満を言いすぎて出禁になるオタク。自分が悪いこともそう言い切れないこともある。
 推しの犯罪は自分は悪くない。だがそれに直面した悲しさは自分に関係のない人を自ら好きになった行動の帰結である。そういう本質的な関係のなさに、監督はまだ向き合わないでいることにすら成功している。
 大変な体験かもしれないが、今でもファンでいるオタクと話したら、お互いの反発から自分と推しの関係の意味を考え直す機会になったかもしれないと思った。(事件の被害者のために会いに行かなかった選択は理解できる)

その他の雑感
・韓国の男性アイドルは犯罪しすぎ
・親しいオタクと川のそばを話しながら歩くところが水辺映画としてすばらしい。次のカットで暗くなるまで話していたのが分かるし、そのあと川の見えるカフェに行くくらいじっくり話している