耶馬英彦

正義の行方の耶馬英彦のレビュー・感想・評価

正義の行方(2024年製作の映画)
4.0
 DNA(デオキシリボ核酸=遺伝子の本体)の鑑定について、以前から考えていることがある。国家権力が信頼に足る国では、生まれたときにDNAを採取してそのゲノム配列を記録しておけば、犯罪の捜査がやりやすくなるし、顔を認証しておけば、防犯カメラ等による個人の特定も簡単になる。
 ニュースによると中国では既に顔認証を使っているらしい。信号無視などの軽微な違法行為に対して、直ちに個人を特定、AIシステムで罰則を課すようにしたら、信号無視は劇的に減ったそうだ。
 中国の例は少しやりすぎのような気もするし、個人が国家を信用するとかは一切関係なく、有無を言わせず実行しているところに国家権力の恐ろしさを覚える。しかしAIを使用した顔認証システムは、年々正確さを増しており、そのうち免許証や保険証、マイナンバーカードなども不要になるかもしれない。
 AIが権力を運用するとどうなるだろうか。AIも自分の都合のいいように権力を濫用するかというと、それは考えにくい。濫用するのはあくまで人間だ。

 権力は長期化すると必ず腐敗するし、逆の言い方をすれば、権力者は死ぬまで権力を保持したいと考える。プーチンや習近平が恣意的に在職可能期間を伸ばしていることからも、それは明らかだ。腐敗すると、権力を自分の都合のいいように使う。役人も同じである。
 組織が長く続くと、所期の目的を忘れてしまい、組織の維持に汲々とするようになる。警察組織は、市民の生命、身体、財産の安全を守ることが目的だったはずだが、いつの間にか人々を取り締まることが目的になっている。そして二言目には「警察の威信」という言葉を使う。大胆な犯罪が起きると「これは警察に対する挑戦だ」と言う。よく考えてみると、意味不明の言葉だが、警察官は違和感さえ感じないみたいだ。「警察の威信」が冤罪を生み出していることも、警察官は理解していない。

 本作品に登場する元警察官の話しぶりは、物事を順序立てて話したり、大前提、小前提、結論といった具合に、論理を組み立てて話たりすることがない。弁護士や新聞記者の話し方と比較すると、その違いは歴然としている。
 警察官はただ知っている小技を話すのみだ。大局観も、論理もない。もちろん哲学もない。理解できないのだろう。理屈が分からない人には、理屈が通じない。思い込んだら一筋にそいつを犯人に仕立て上げる。それが男のド根性。たまったものではない。
 
 推定無罪の原則は、行政でも司法でも、なかなか守られていないようだ。もし久間さんが本当は無罪で、真犯人が別にいるとしたら、とても恐ろしい。行政も司法も、AIに任せたほうがよほどうまくいく気がしてきた。
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