このレビューはネタバレを含みます
個人的にオッペンハイマーよりもこっちの方がみていて同タイミング的にいろんな葛藤や問題想起させられて、
この状態の上でオッペンハイマーのこともっかいみたいなとも思った
総じて両者ともを知ることは
自分が見て見ぬ振りをして考えてこなかった【政治的な】(個人と組織間の生き方に関する)トピックに直面して考えさせられる場になれてすごい感謝だった
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以下印象に残ったことメモ
①「権力を軽視した私への罰として、天は私に権力を与えた」というセリフが仄めかす、
【個人と組織の関係】における問い
(人々に流されず群れず介入せず、
人民の中で許されてきた自由のもとに知的好奇心や創作力を働かせてきた個人の産物が、人民を巻き込むほどの影響力(権力)を及ぼした時、反対にその個人がどの国家、民族に属するかといった組織の中のアイデンティファイの問い、ナショナリズムの問い(人民)に直面する構造になってるとこ)
🟰権力を形造ることとなった産物が人民と個人の中間点になってること
+
その両者の関係を媒介する【メディア】の存在感
(それ(その中間点たる産物)が、人民が今まで許してくれていた自由に自らでメスを入れるほどの好奇心だったことに、メディアの反射を通して気付かされ、人生を反省する構図になってること
②(その問いの上で彼が)
「好戦的な平和主義」を主張したこと
(平和主義である以前に反ファシストであって、いま組織化する軍隊(ナチス)に対抗するには同じく組織化する軍隊が必要だと、総じて「平和のためには行動(戦うこと)を厭わない」と判断し行動したこと
(このとき彼が人類と文化遺産を守るために、という言葉で、ナチスからのユダヤ人への迫害増すリスクあるかもしれないけどそれでも演説やる、行動しなければ今はダメだと決断したシーンはすごい印象的だった。。
③(最後にそれらの判断や行動を支えた彼自身の価値観や祈りを語るセリフ)
「発明は人類への祝福であり、呪いであってはならない」
→結局のところ
Creaturesを幸せ(positiveなもの)にするか否かの問いは
createdされる物自体(発明の如何)にあるのではなく
それを扱うcreatures 自身(人民)の情にかかっているのだということ
つまり
組織の中に自由に生きた個人(発明家)もその産物も、また組織との問いに裂く苛まれるのであって、最後には他者との情のあり方っていう、そこのポジティブさを追求し続ける人間存在としての科学なのだということ、
を考えさせられるような彼の人生、