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さらばベルリンの灯のsleepyのレビュー・感想・評価

さらばベルリンの灯(1966年製作の映画)
4.0
水曜日の子供
原題:The Quiller Memorandum, 「さらばベルリンの灯」(さらばべるりんのあかり)1966年、米、カラー、104分、マイケル・アンダーソン監督、ジョージ・シーガル、センタ・バーガー主演。マックス・フォン・シドー、アレック・ギネス、ジョージ・サンダース出演

60年代、前任者2人の後釜として、ある任務でベルリンにやって来たベテランスパイ、クィラー(シーガル)。派手な展開はもちろん無く、いぶし銀の味わい。本作はリアル(に思える)作風だが、非情ながら哀歓・情緒あふれるウェットなスパイ映画。スパイの悲恋ものと言っていいかも知れず、落ち着いた娯楽性もある。現在の聖林映画と異なり、目と耳を離すことが難しい質感と情感。特に、女教師のS・バーガーとシーガルの恋。すべてが終わった後、最後にバーガーに合いにいくシーガルの眼・・。本心を隠し「なぜ?」「実は・・」という問いを呑みこみ嘘を嘘と知りつつつきあう2人の視線がからむ。シーガルがこんなにいい役者、悲しい目をする役者だったとは。

映画を引っ張るジョン・バリー(初期の007、「国際諜報局」「ズール戦争」等)の音楽が最高。メインテーマの「Wednesday's child」は慣用句。あるサイトによれば、英の数え歌、17世紀前半の「Monday's Child」から来たフレーズのようで(マザーグース・・かな?いくつかの歌詞のヴァージョンがあるらしい)、子に曜日の名を覚えさせるための童謡。映画は、そこからWednesday's child is a child of woe.というフレーズを借り、Mack Davidが歌詞を書き、名手ジョン・バリーが曲を付けた。もう転げまわって泣きたくなるほどの名曲(映画はベルリンが舞台だが、どことなくロシアを感じさせる曲調。どちらも某動画サイトで聴くことができます)。映画ではマット・モンローのヴォーカル版は使われないが、最高で困ってしまう。個人的には「国際諜報局」「フォロー・ミー」と並ぶ3大「哀愁の」ジョン・バリー。

*歌詞を調べたら、曲調にあったとても悲しいもの。マザーグースが元らしい。以下、私の拙訳意訳で。
★「Wednesday's child」
水曜日の子どもは不幸せな子
水曜日の子どもは涙にくれる
私のためにあなたがほほ笑んだとき
しばし私が水曜日の子であることを忘れてしまう

金曜日に生まれた子どもは愛される子供
あなたの腕にいだかれた私は金曜日の子だった
しかしあなたは去ってしまった。それを受け容れなければ
やはり私は水曜日の子ども 孤独の星のもとに生まれた子
もはや、あなたは去ってしまった それを受け容れなければ
やはり私は水曜日の子ども 孤独の星のもとに生まれた子 ★
クィラー(シーガル)はいわば「水曜日の子供」なんだろう。

そしてアレック・ギネスとマックス・フォン・シドーの佇まい、仕草、身にまとう空気が、瞳が、声音がそこらの役者とは違って凄み(ギネスは軽味)があり、画面がビリッとする。わけありセンタ・バーガーは清楚でふくよかでとても儚げで美しい。

大概は凡庸な印象の英のマイケル・アンダーソン(「火星年代記」(TV)「2300年未来への旅」「オルカ」「1984」(56年))だが、英国映画テイストが横溢。悪くない。むしろいい。個性は希薄だが思わせぶりな点がなく、ちゃんと芝居をすくい取る演出は侮れない。そして昼夜ともに魅力的だが不穏な空気を醸す西ベルリン・ロケの描写・撮影。もちろん、今はないあの「壁」は存在している。

どこかあと1歩の感はあるものの、意外性・捻りという名の安易さとは無縁の情感、安い盛り上がりなど必要としない滋味。セリフが筋を説明せず、ちゃんとキャラの性格と、確信と不信の間を揺れる心情を伝えるもので、練られている。特にバーガーに顕著だが、ミルフィーユのように重層的な人物設定、描写だ。ぐっと胸に踏み込んで来る何かがある映画と感じてもらえたらいいなあ。

★オリジナルデータ:
The Quiller Memorandum, 1966, US, 製作20世紀Fox, 104min, オリジナル・アスペクト比(もちろん劇場公開時比を指す) 2.35:1 Panavision (anamorphic), Color, Mono, ネガ、ポジとも35mm
別サイトの、自身のレビューを改訂したもの。
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