ロシアの反戦映画
トルストイ原作を第一次チェチェン紛争に置き換えた作品。ウクライナとの戦争とも重なる。チェチェン独立武装派の捕虜となったロシア兵がチェチェンの人びととの交流を通して戦争の無意味さに気づいていく。
亡命はしていないロシアの監督による反戦映画はプロパガンダなのか。直接の体制批判をしたわけではなく、反戦への思いはすべての人びとの願いだからオーケーだったのだろうか。あるいはチェチェンよ抵抗するなということかとも思ったが、ロシア兵の残忍さと、チェチェンの人びとの痛みを描いているのでプロパガンダではなく反戦映画と捉えた。
カンヌで批評家連盟賞と観客賞を受賞、アカデミー賞で外国映画賞にノミネートされた。
ロシアとチェチェンの紛争は200年以上の悲劇の歴史があり、停戦、和平、衝突を繰り返し、紛争は日常で、互いは相容れないのに、人びとの往来はロシア連邦国内なので自由で、「敵」は身近な存在だった。
そんな中、捕らわれたロシア兵二人は捕虜交換のために、村の長老の家の納屋に入れられる。そこでロシア兵に傷つけられたり、殺されたりした家族を思うチェチェン人の気持ちを知る。
上官のサーシャは戦争だから人を殺すのは当たり前だと職業軍人としての立場を貫き、自分自身が殺されるのも覚悟の上だが、新人兵のワーニャ(監督の実子)は人殺しなど無理だとおじけずく。
明るいサーシャと優しいワーニャは監禁されたロバ小屋の奥に隠されていたお酒(イスラム教徒のチェチェン人は原則禁止)を飲んでは踊ったり、壊れた時計を直したり、娘のためにモビールを作ったり、人びとと交流していく。
捕虜交換には家族の中でも母親が引き取りに行くのがしきたり。ウクライナの戦争でも両国の母たちが時々クローズアップされるのはこういうことだったのかと納得。
山の民のチェチェン人の村はダイナミックで美しい風景の中に、こじんまりまとまっている。家の中もシンプルながらも美しい調度品で、豊かな文化であることがうかがえる。
街のロシア人にとって、山のチェチェン人は野蛮で民度が低いように捉えられていたが、実際は違って知的でたくましく穏やかな人びとであると描かれていた。
しかし、ドライである。娘も。それだけ憎しみが渦巻き、戦争による厳しい現実を知っている。
人びととの交流があるからラストが痛ましい。
ワーニャがラストで叫んだ言葉がすべてを物語っている。
一人の兵士が敵地で平和を願う、ストレートに反戦を謳う優れた作品だと思いました。
同じくコーカサス地方の「みかんの丘」を彷彿しました。