煙

トアの煙のレビュー・感想・評価

トア(1949年製作の映画)
4.3
草野なつか監督トークショー付き(聞き手:坂本安美氏)。以下はトークショーの内容の備忘。
本作でもギトリ特有のクレジットが見られ、フィクションの世界が現実に雪崩れ込む仕掛けになっている。ギトリ作品は5人の妻によって時代区分ができる。本作出演のラナ・マルコーニが5人目の妻(ルーマニア移民)で、有名なプロポーズの言葉「君はぼくの未亡人になるだろう」。これまでの人生をパロディ化するかのような作品。例えば「あなたは電話がないと戯曲をかけないでしょう!」というセリフ。本人と本人が演じる役柄と役柄に同化する本人、といった多層化があり、かつ反転も見られる。ギトリといえば声!サイレントの時代に撮影した『祖国の人々』はナレーションを重ねるごとに中身が更新され作品の厚みが増していく。場所は変わらないのにセリフ(話すテキスト)が運動となっている。扉の開け閉めが重要な主題。『私の父は正しかった』や『デジレ』もそうだが、室内なのにほんのちょっと映される実景にどきりとする。そこにはドキュメンタリー性を帯びた生々しさがある。ギトリはチャップリンが好きだったが、チャップリンを映す映画とは現実を再生するものとしてあり、デクパージュには意味がないと考えていたようだ。草野監督は、自作にひとつの答えを持たせないように実景はそのてがかりであり奥行きをもたらすもの、という認識。おそらくギトリもそうだったのでは。神の目線たるカメラの眼差し、ではなく、観客のいくつもの目を感じる(非常に民主的)。俳優のすべてを映したいという欲望が強い。勢い、フィクションも多面的になる。ポーリーヌ・カルトンなど個性の強い役者が好み。デジレは最初は何を見せられているのかわからないし他愛無い話だけどずっと見ていられる。最後の2分で畳み掛けるようにドラマが凝縮されて納まる(草野氏)。パリのアパルトマンや別荘など密閉された空間が扉の開け閉めや声のやりとりによって変質していく。それは劇場でもそうで、客席から罵ったり、ラナ・マルコーニが立ったり座ったりする中で、客席と劇場が切り替わる(ことばゆえ)。演劇用語で言えば第四の壁が壊される。『デジレ』においてはサロンと給仕の部屋などの反転。類似と反復。演劇に人生が流れ込んでくる。『毒薬』はミシェル・シモンの希望通りすべてワンテイクで撮影された。ギトリは「モア(私)」が口ぐせ。タイトル『トワ』(あなた)はそのことを意識してるのでは。セリフで「日本の長崎の東亜村」というのはでたらめ。本作に限らず切り返しでなく横並びが多い。『トア』で切り返しがないことの不自然さが気になったが、それは演劇的な画面作りを意識しているからでは。演劇は観客がカット割りする。
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