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ラジオ下神白―あのとき あのまちの音楽から いまここへのkoheiのレビュー・感想・評価

4.5
2011年の原発事故によって浪江・双葉・大熊・富岡町から避難してきた人々が暮らす、いわき市の福島県復興公営住宅・下神白(しもかじろ)団地。2015年にできたこの団地で支援活動を行っている人たちがいた。団地に住む人々にまちの思い出と当時の馴染み深い曲について話を訊き、それをラジオ番組風のCDにしてそれぞれの住宅へと届ける活動。その名も「ラジオ下神白」というプロジェクトだ。団地というのは画一的な見た目をしているし住民同士での交流もあまりないというからそこに数多の暮らしがあることは想像しづらい。しかし一つひとつの生活の風景をラジオが捉え、また団地へと差し渡されていく、その循環によって、バラバラのものがひとつにまとまる瞬間があるのかもしれない。
文化活動家のアサダワタルさんをリーダーとするラジオ下神白のメンバーは、2019年に「伴奏型支援バンド」というものを結成する。これは、団地の住民たちが愛する曲をバンドで演奏し、その生演奏をもとに実際に歌ってもらうというものだ。ただ単に話を訊くというところから、一緒になにかをつくるという段階に移行していくのが面白い。生演奏による伴奏は歌い手の歌のスピードを「待つ」ことができるとアサダさんは言う。それはもはや伴奏であり伴走でもある。一方で、待ちながら伴奏するためにはこちらの技量を磨かなければいけない。伴奏を置いて歌がずんずん進んでいくことだってある。歌と伴奏が一緒に音楽をつくり上げる過程は持ちつ持たれつならぬ“待ちつ待たれつ”で、そこには相補的な関わりがあるのだ。
こうした伴走の様子を記録したドキュメンタリー映画を、東日本大震災以降、被災地で人々の営みを映像に残し続けている小森はるか監督が収めた。ポレポレ東中野に私が観に行った回では『すべての夜を思いだす』の清原惟監督がトークゲストに来ていて、最近ドキュメンタリー映画を撮ったという清原さんが「撮れた映像と同時に、撮れなかった映像がたくさんあった」と漏らした。それに対して小森さんは「基本、(カメラは)間に合わないんですよね……でもずっと構えてると偶然映るものがある」と言う。
歌を歌う老人たちの年輪を重ねた声と、必死でそこに追いつこうとするバンドの一音一音、そしてそれぞれの表情が、私の記憶の中で重なってはまた離れていく。
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