寝耳に猫800

ラジオ下神白―あのとき あのまちの音楽から いまここへの寝耳に猫800のレビュー・感想・評価

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ふとした時についつい口ずさんでしまう音楽、生活の記憶と分かちがたく結びついた音楽、それはいざ再会すれば当時を一緒に過ごした思い出がありありと蘇る子どもの頃の友人のように、その人にとって代替できない存在である、そうしたことを自然と思い出させてくれる映画

この映画は震災支援の「いま」を映しながら、回想などを用いずに人々が持つ「過去」の感情をすくいとることができている

東日本大震災が引き起こした原発事故により住んでいる街から避難して福島の公営住宅・下神白団地に住んでいる住民たち、彼ら彼女らが震災のことを直接的に語るところはほとんどなく、お気に入りの歌に紐付いた記憶を楽しそうに懐かしそうに時に寂しそうに語り歌う、しかし時折その姿や表情(例えば、「仮設(住宅)を6カ所回った」と語る人の一瞬の沈黙や、船でブラジルに渡り漁師をしていた人が会津に引っ越すと語る時の逆光の姿)に、自分の街を追われた過去への「何か」が映っている

彼ら彼女らに「伴走」し、好きな歌とそこに紐付いたエピソードを聞くことでラジオを作っている「ラジオ下神白」の面々と、そこにカメラを向け編集する小森はるかは、その「何か」を悲劇として演出したり過剰に盛り上げようとすることはなく、ただそこに寄り添っている、だからこちらもそれをそっと見守る

映画の冒頭で、いとうせいこう『想像ラジオ』のことを思い出した、何かが起こった場所で「さびしさ」があたり一面を覆ってしまう時、「私の話が聞こえていますか」「この歌のことを覚えていますか」という祈りにも似た語りは、ラジオという媒体と特別相性がいいのだと感じた