ナガエ

ピクニック at ハンギング・ロック 4Kレストア版のナガエのレビュー・感想・評価

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本作は、映画館の予告でその存在を知った。とりあえず、「リマスター版やレストア版は可能な限り手当たり次第観る方針」なので、本作も、予告の映像しか情報を知らないまま観に行った。

予告の映像は、実に「不思議」な雰囲気だった。乾燥した岩山を、真っ白の高貴な服を着た女性たち登っている。とにかくその「背景」と「佇まい」の違和感が凄まじかった。その「なんとも言えない妖しげな雰囲気」から、僕は、「ファンタジックな設定の物語なんだろう」と思っていたし、なんとなくそういう心持ちで映画館に行った。

しかし、僕のその予想は大きく外れた。本作は割と、リアル寄りの作品だったのだ。いや、「だから良かった」とか「だからダメだった」みたいなことは全然ないのだが。

さて、というわけでまず、ざっと内容の紹介をしておこう。

物語は1900年2月14日、聖バレンタインデーに起こる。寄宿制のアップルヤード女学校では、近くの岩山ハンギング・ロックにピクニックに行く日だった。普段は厳しい規律の中で生活している少女たちは、浮足立っている。

しかし、校長に呼び止められたセーラは、ピクニックに行くのを禁止される。その理由はしばらくすると理解できる。

そんなセーラは、同室(なのだと思う)のミランダのことを愛している。そのことはミランダも理解しており、しかしセーラに対して「私以外の人も愛さないとダメよ」と告げるのだ。「私はもうすぐ、ここを離れるから」と。

そんなやり取りをした後で、セーラを残して一行は馬車でハンギング・ロックへと向かっていく。同行したマクロウ先生は博識で、「マセドン山は3億年前からある」「ハンギング・ロックは100万年前の比較的新しい噴火で出来た」と説明している。それを聞いていた少女の一人が、「100万年も私たちのことを待ってくれていたのね」と返していた。

岩山で思い思いに過ごす面々だったが、ミランダら4人が「岩の数値を調べたい」と言って、先生の許可をもらって岩山を登り始めた。そして、途中で怖くなって山を降りたイディスを除く3人と、何故かマクロウ先生を含めた4人の行方がまったく分からなくなってしまったのだ……。

というような話です。

予告で使われていた「白い服を着た少女たちが岩山を登る」みたいなシーンは割と早い段階で終わり、作品は全体として、「少女と先生の失踪に困惑したり迷惑を被ったりした人たち」を中心に描き出していく。そういう意味で本作は、とてもリアル寄りの作品に感じられた。

ただ個人的にはやはり、物語前半の「少女たちが岩山を登り始め、その後何故か失踪してしまう」という不可思議な情景の方に惹かれた。はっきり言って状況はなんのこっちゃ分からないし、作品のテイストから割と想像できると思うので書いてしまうと、「失踪の謎」も別に明らかにはされない。「失踪」に関する部分は本当に最初から最後までずっと謎なのだが、しかしそれでも、映像的な引力は圧倒的にこちらの方が強い。岩山と着飾った衣装のちぐはぐさや、これまた岩山にそぐわない少女たちの美しさ、寝そべる少女たちの傍を這うトカゲなどなど、インパクトがとても強い。

また、その岩山で失踪した彼女たちが口にする「意味深なセリフ」もまた謎を深めていると言える。例えば、誰が言っていたのか忘れたが、岩山から見下ろした先に人の姿を見つけた少女がこんなことを口にする。

【目的のない人間がこれほどいることに驚きだわ。
知らず知らず、何かの役割を果たしているのかしら?】

このセリフ、作中で描かれる何かとリンクするみたいなことはないように思う。「その時にそう思った」みたいなセリフとして用意されているのだろう。しかしそれにしては、意味ありげである。彼女たちが失踪した理由に関係あるのだろうか?

しかし彼女たちはそもそも、最初から失踪しようと考えていたわけではない。岩山を登っている時に、確かミランダだったと思うが、「これ以上はダメ。すぐ戻ると先生と約束したから」と口にするのだ。少なくとも、このセリフを口にした時点では、失踪する気などなかったのだろう。だからこそ、その直後の「態度の変化」が謎すぎるのだし、やはりなんとも説明がつかない。

ちなみに、鑑賞後に公式HPを観てみると、こんなことが書かれていた。

【1967年に発表された同名小説を基に映画化された本作は、当時批評家や観客に「これは実話なのか?」と波紋を呼び、大きな混乱をもたらした衝撃作であり、今もなお、その謎は解けていない。】

【ある夏の日、ハンギングロックで女子生徒とその教師が行方不明になった事件を描くこの小説は、実話をもとにしていると言われているが、そのミステリアスな表現と曖昧な結論は、多くに批評家や読者の関心を惹き、オーストラリアでもっとも重要な小説のひとつと評された。】

【この作品に描かれた失踪事件は事実なのか、フィクションなのかは大きな注目の的になり、いまでも議論が続いている。】

確かに、本作の描かれ方は「実話を基にしていないとおかしい」と感じるぐらい、物語的ではない。「現実がこうだったんだから仕方ないんですよ」という打ち出し方なら納得できるが、これが完全なフィクションだとしたらかなり挑発的な作品と言えるだろう。

しかし、「これは実話なのか?」と波紋を呼んだということは、少なくとも「オーストラリアで広く知られた事実ではない(あるいはそもそも事実ではない)」ということなのだろう。

物語の後半は、「謎の失踪事件の余波に悩まされる校長」とか「金持ちの子女が多い中でのセーラの苦悩」などが描かれ、前半で映し出された「妖しい美しさ」みたいなところから対極に転じたような印象がある。まあ、ストーリー全体としてはそのような要素は必要だったとは思うが、個人的にはやはり「失踪」に直接的に関係する部分の方が魅力的に感じられた。

なかなか変な映画だったが、観てよかったかなという映画ではある。
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