イワシ

夕陽に向って走れのイワシのレビュー・感想・評価

夕陽に向って走れ(1969年製作の映画)
5.0
再見。まるで『夜の人々』のような犯罪映画であり、逃走/追走の並行編集によって抽象的な空間が生じるモンテ・ヘルマンの西部劇のようであり、『悪の力』で見せた凄まじい下降運動の強力な政治性を含んだ変奏でもある。この映画で一番底にいるのはロバート・レッドフォードなのだ。

ロバート・ブレイクを射殺したレッドフォードが彼の遺体を肩に担ぎ、山の斜面を降りてきたあと、インディアンの助手たちにブレイクを火葬するよう指示するシーンがある。そのショットを見ると、ロバート・ブレイクが最も高い位置(地から足が離れてる)に、レッドフォードが最も低い位置にいる。火葬の際に立ち昇る煙は『悪の力』のジョン・ガーフィールドの上昇運動の変奏であり、そして『悪の力』で地の底のような場所に放置された兄の死体と同じ位置にいるレッドフォードが画面から歩み去っていくことが、それまで描かれてきた逃走の横軸への運動を総括し、煙の上昇運動に対する平行運動として対比される。この対比によってアメリカそのものが『悪の力』の地の底として表象される。ジョン・ガーフィールドに許された微かな希望への上昇運動が、ロバート・レッドフォードには許されていない。

途中でインディアンの助手がロバート・ブレイクを評して「雲みたいな奴だ。誰もあいつを捕まえられない」と言うのだが、ラストの煙の上昇運動がその言葉の正しさを物語っている。犯罪者としてではなく、インディアンとして死ぬこと。それこそがロバート・ブレイクの逃走なのだ。逃走するこもが気体と結びつけられるシーンはそれ以前にもあり、ロバート・レッドフォードらが偽の痕跡を追っているシーンの背景で、山火事による大量の白煙が立ち昇っている様子が画面に映る。逃走の達成と煙の関係がここではじめて提示される。
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