YasujiOshiba

信頼のYasujiOshibaのレビュー・感想・評価

信頼(2024年製作の映画)
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有楽町朝日ホール。24-69。

トム・ヨークの音楽はたしかに悪くない。音響効果も面白い。言いたいこともわかる。縁起も良い。白日夢もわからないことはない。言いたいこともわかる。でもそれって、あのラストでいいのかね。

ジャンルとしては高校教師もの。アラン・ドロンの名作もあるし、日本にもテレビドラマがいくつもある。それを熟成させたと言えば聞こえは良い。でもね、ほとんどホラースレスレの演出。どうせならホラーにすれば良かったのに。

エリオ・ジェルマーノの独演会ってところかな。しかも長い。長くなったのはドメニコ・スタルノーネの原作に比較ずられたからなのか。前作の『靴紐のロンド』は未見だかど、サルヴァトーレスが映画化した『Denti』は好印象だった。でも原作をすぐに読みたいとは思わないかな。

教育の話でもある。愛の教育と恐怖の教育。原理のある教育と自由な教育「segno(記し)」を残すことが「insegnare(教える)」というのだけど、それならば、何も教育者だけではなく、家庭でも社会でも人は人に「印」を刻み続けている。なぜならばそれが言語の特質だから。

これにたいして昔のイタリア語では「imparare」という言葉を使った。今では「学ぶ」だけれど、かつては他動詞的に「教える」 という意味でも使った。意味的には「in-(内側で)」+「parare (守る、育む)」ことで、何か物事を習得することを言う。

「insegnare」は、ある意味、「スティグマ」を作り出し、それを有効活用しようとする。一方で「imparare」は、言語活動を「生まれさせ、準備し、提供する」(parare)。だとすれば、この映画は「insegnare」を主題に、そのトラウマを描く。

興味深いのは、生徒の面倒を見るというとき、イタリア語では「seguire」(追う)という言葉を使うこと。話についてゆくことも「seguire」なのだけれど、相手がどこへむかってゆくのか見守り追うのも「seguire」。問題は、どこまで追いかけるか?

情熱はしばしばぼくらを深追いさせる。そして森の奥で、ぼくたちはいちのまにかキツネたちの宴に参加してしまっているのかもしれない。

追記:
日本語タイトルは「信頼」。原題の Confidenza は「(相手を信じて)なにかの秘密を打ち明けること」(Rivelazione di un segreto)という意味のはず。だから邦題は「秘密」ぐらいほのうがよい。そしてぼくらは、その「秘密」が打ち明けられるのを目撃するのだけど、その内容についてはついに知らされることがない。だからこそ「秘密」なのだ。
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