イホウジン

ガメラ 大怪獣空中決戦のイホウジンのレビュー・感想・評価

ガメラ 大怪獣空中決戦(1995年製作の映画)
3.7
【レビュー2回目】
シン・ゴジラのベータ版としてのガメラ1

「東京を“戦場”にするとどうなるか」のシュミレーションを怪獣を通して探求する試みは、完全にシン・ゴジラである。というか、シン・ゴジラ自体が今作のリメイクである部分もかなり強いことが確認できた。また、脚本が「パトレイバー2」と同じ人ということからも、今作の背景に“現代の戦争”を置いているのは明らかである。当初は政府によってギャオスを捕獲しようとしたり、自衛隊の現実的な兵器で標的を攻撃したり、東京から避難する住民で溢れかえる東京駅や高速道路の描写はシン・ゴジラでも全く同じように使われている。ただ当時の技術では現実と見紛うほどのミサイルや渋滞は表現出来なかったようで、その悔しさがシン・ゴジラの創作意欲に繋がったとも言えよう。
しかし、両作の中でも今作(と言うよりは平成ガメラ全体)で際立つのが一般市民の描写だ。ギャオスの中央線襲撃のシーンはかなり強烈に描かれ、落下した車両に歩行者が押し潰される所まで丁寧に映す有様だ。博多のパートでも「死傷者多数」という文言を見る限り、ガメラ3の渋谷同様ガメラ≠人類の味方という図式が今作で既に成立していたことが伺える。それを暗示するかのように環境問題や原子力への批判もある。アントロポセンを批判的に検証するという意味では、なかなかに先駆的な怪獣映画だったとも言えるのかもしれない。
それでも今作の特撮は素晴らしい。ガメラ2,3が徐々にCGへの依存が増えていくのに対し、今作は昭和的なマンパワー前回のセットを見ることができる。福岡ドームの使い方も面白いし、東京タワー爆発とそこに巣をはったギャオスの鳴き声のシーンはディストピアらしい美しさがある。

ただ、ストーリーそれ自体は妙に子供っぽい。そもそも古代文明の遺物としてのガメラとギャオスという設定自体が厨二病臭いし、ガメラと心が通じ合うオカルト好きな女子高生という物語の中核もいかにも男性的な好奇の目が潜在的にあるようで気持ち悪い。登場人物同士の相関関係も主張の強さの割には言及が少なく、怪獣の描写と人物の描写の間に乖離がみられた。

あと改めて注意深く観ていると、ガメラ3のフラグは今作で既に立っていたということが察せる。「人間を攻撃してこない限り自衛隊は攻撃できない」、「ギャオスのためにガメラはまた現れる」、今作の何気ない一言が数年後に最悪の展開として伏線回収されるとは、当時観た人たちは考えてもいなかっただろう。

【レビュー1回目】
平成ガメラの中で一番子供向け…であるのは間違いないが、島の襲撃はジョーズ的な恐ろしさがあるし、中央線のシーンはかなりグロテスクで、平成ガメラの今後の方針を示すような作品になっている。
東京タワーの壊し方が斬新でよい。
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