映画漬廃人伊波興一

ワーテルローの映画漬廃人伊波興一のレビュー・感想・評価

ワーテルロー(1969年製作の映画)
1.3
(権力)の産物 
セルゲイ・ボルタル・チューク、あるいはディノ・デ・ラウレンティス「ワーテルロー」

この世に神がいるか?
など諸氏の見解が永遠に紛然し続けるでしょうが、映画界には我意をを張り通す神のような存在があります。

わが日本では「幻の湖」における橋本忍、「影武者」におけるアキラ・クロサワ、あるいは「スウィート・ホーム」におけるジュ―ゾー・イタミなど。

そして「ワーテルロー」のディノ・デ・ラウレンティスもこの作品の製作渦中においては絶対的な神だった筈。

製作に携わったスタッフ、キャストの誰もがラウレンティスについて歪曲尽くして説明する者などほとんどいないでしょうし、ラウレンティスに関した食言に戸惑う者も少ないでしょうし、ラウレンティスに反感を抱くもの、刃向かう者、見くびる者も健全な範囲内でおさまっていたことでしょう。

そもそもラウレンティスは始めから通常の人間とは考えを異にする者。
ラウレンティスは常に心の動揺を押し隠し、他者を平気で抑圧し、非難の矢面に立たされれば(全く覚えがない)と白を切り、前約さえ果たしていないのに新たな密約をで取り交わし、裏業界に巣くう輩と簡単に癒着し、幸福と不幸の意味を赤色と青色を間違える程度の感覚で取り違え、我こそが唯一絶対の存在だと公言してはばからず、便宜的で、弁解がましい解決法を熟知していて、衆に抜きんでた人間を手下に置き、旗頭にたって国旗をはためかせたと思えば、風向きの変化次第でたやすく姿をくらまし、言行の背馳など屁とも思わない。

ロッド・スタイガー演じるナポレオンが劇中で何度もイギリス軍から(怪物)(化け物)と呼称されますが、この「ワーテルロー」の真の怪物が誰なのかはあまりにも明白です。

わが日本の怪物プロデューサー、岡田裕と同じくらい、その生涯を誰かに映画化して欲しいですねwww