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青銅の基督のumihayatoのレビュー・感想・評価

青銅の基督(1955年製作の映画)
5.0
いやー傑作でした
セットも異様な良さ
特にラストシーンは恐ろしいほど
たぶんモンティ・パイソン「ライフ・オブ・ブライアン」のラストの元ネタ(嘘)かエヴァの元ネタ(これありえる)

僕は特に信じてる宗教といえば
ジェダイ・オーダーくらいだなと思ってるわけですが
「じゃ死んだら土葬な」と言われれば、いや焼いてくれと思いますし
「死んだら神による最後の審判があるからあの世で一回蘇って裁判な」と言われても、ピンとこないどころか
来世に期待とか思ってるわけで。

要は宗教というのは、生き方というよりも
死後の在り方の方が大きいのでしょう

この映画で踏み絵を拒んでお仕置き(死刑)されてった信者たちは
「何故助けにこない神を信じて死ぬんだ。改宗すれば死なずに済むのに。」
と言われましても
「いや、死んだ後の審判で神に認められる行いの話してんだけど」
と噛み合わない気分だったろうなと、想像します。

なぜなら最後の審判で裁かれるのは、どう考えても自分の魂や精神体です
よって、現世での肉体的な行いの損得など誰も気にしてないし
「良いことをすれば良いことが返ってくる」なんて話も誰もしません
行いが正しいか正しく無いかは
まさに"神のみぞ知る"だからですし
良い事をしたのか悪い事をしたのかすら、人間にはわからないからです
しかしひとつだけハッキリ分かることは
「神の存在や神の教えを信じなかったり守らない奴が、たとえ生死がかかってようと自分の損得で神を裏切ったりする奴が」
神の国である天国に入れてもらえるわけがないだろう
ということです
信仰に従って
たとえ死ぬことになっても
それが神の御導きだという考えなのです
天国に行く唯一の道なのです

現世で自分だけ助かる
とか
権力を持つ
とか
んなもんクソの役にも立ちはしないのです
天国にも行けない
だってクソだから
権力による、思想宗教の弾圧の批判は誰がいうまでもなく論外です。

信者側にユダが出てくるということの原因もそこにしっかりあり、描かれてます

ユダに成り下がった元神父は
非信者の職人が作った青銅のキリスト像のあまりの出来栄えに
「こんな素晴らしい像を作れるのは信者だけだ」と言って処刑を望みます

このことから分かるのは、このユダが
死後の世界ではなく
現世レベルでの行いの度合いで
自分や相手の立ち位置や信心を測って、嫉妬しているということです
まぁここに遊女に対する恋心まで入ってくるわけで、そもそも俗欲にドロドロなわけですが

さて、こういった
現世での命や地位や金というものを
手に入れる為に信者になった
或いはその為にビジネス信者に転身したユダが沢山いて
「なんか宗教とかこわーい」とか言って理解しようともしない無関心一般ピーポーも沢山いて
分断と弾圧というものは、外的にも内的にも出来上がっているんだろうと思います

とりあえずもう人間に分断なき平和な世界とか無理なので
来世に期待しましょう
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