まぬままおま

SELF AND OTHERSのまぬままおまのレビュー・感想・評価

SELF AND OTHERS(2000年製作の映画)
4.2
佐藤真監督による牛腸茂雄の仕事に対するドキュメンタリー/アート作品。
松濤美術館で開催されている「『前衛』写真の精神:なんでもないものの変容 瀧口修造・阿部展也・大辻清司・牛腸茂雄」の上映会にて。
去年、ユーロスペースなどで開催されていた「現代アートハウス入門 ドキュメンタリーも誘惑」で本作がプログラムの一つとして上映されており、みようと思っていたが予定が合わず…今回は観賞できてとてもよかった。

牛腸茂雄と言えば、濱口竜介監督の『寝ても覚めても』である。小説から翻案するに当たって、牛腸茂雄の写真や個展の登場はオリジナルな部分であり、冒頭の重要なシーンを占める。なぜ映画『寝ても覚めても』に牛腸茂雄の写真を登場させたかは、機会があれば文章化したいところだ。ここでは「日常を撮ることへの反動、そして震災といった社会事象の再現前化のため」とだけ言いたいと思います。

余談が過ぎましたが、本作における佐藤真監督の仕事に移る。

本作は牛腸茂雄の「仕事」に対するドキュメンタリーである。ドキュメンタリーと言っても彼の生前の姿をカメラで追ったわけでもないし、彼の仕事仲間や友人、家族にインタビューがされているわけでもない。あるのは徹底的な仕事に対する精査と彼にゆかりのある場所の風景のみだ。

印象的なのは冒頭の中間字幕で牛腸の生い立ちから36歳で亡くなったことをも語ってしまう点だ。それによりドキュメンタリーで彼の人生を時系列に沿って語ることは棄却される。そして佐藤監督の意識に沿って物語化され、時系列を横断しながらの語りが展開される。それは「瞳」に注目した写真群の提示だったり、風景の映像イメージと写真を交互にみせること、また彼の手紙の朗読ー朗読者は西島秀俊だーを導入することだったりする。牛腸が制作した映像作品の挿入もいとわず、仕事について網羅的に語るため、私たちは体系的に知ることができる。

このような語り方は牛腸茂雄の死や写真として焼き付いた静止と映画としての運動、再生を相互作用化させる。そしてもはや「記録」は「アート」へと昇華され、佐藤監督のひとつの作品になっているのだ。

有名な姉妹の写真でモデルをしたであろう人の「当時はあんまりこの写真好きじゃなかった」と語る〈声〉。最後の牛腸自身による「きこえてますか」と何度も語る〈声〉。人物が映像イメージに不在であっても、その〈声〉は生を雄弁に語っている。それも日常風景が、自然や他者の運動をまざまざとみせるから〈声〉のみで十分なのだ。

日常を撮ることで、〈私〉と対象の関係を追求した牛腸茂雄、受け継いだ佐藤真。では今を生きる私たちは?そんな応答可能性にもまた本作は開かれているのだ。
 
追記
映像イメージと写真の交互の提示では、場所の意味性における緩やかな連関によって繋がっている。そしてよくみると映像イメージが写真の前後で少しだけ「進んでいる」。単なる写真の挿入ではない。ここに感動したし、佐藤監督の技法だ。