サマセット7

ファーゴのサマセット7のレビュー・感想・評価

ファーゴ(1996年製作の映画)
4.5
監督・脚本は「ビッグリボウスキ」「ノーカントリー」のコーエン兄弟。
主演は「スリービルボード」「ノマドランド」のフランシス・マクドーマンド。

[あらすじ]
「これは実話である」。
1987年アメリカ・ミネソタ州ミネアポリス。
うだつの上がらない中年男性ジェリー・ランディガード(ウィリアム・H・メイシー)は、多額の借金の返済のため、資産家の義父から大金を騙し取るべく、自らの妻ジーンの狂言誘拐を企む。
しかし、「誘拐犯」として雇われたカール(スティーブ・ブシェミ)とゲア(ピーター・ストーメア)の無計画な行動により、事態はジェリーの予想もしない方向に転がっていく。
街の警察署長であり妊娠中のマージ(マクドーマンド)は、事件の真相をマイペースに追うが…。

[情報]
アカデミー賞作品賞、監督賞、脚本賞をはじめ、多彩な受賞歴をもつ、アメリカが誇る監督・脚本家兄弟、兄ジョエル・コーエンと弟イーサン・コーエンの、1996年公開の代表作。

今作は、コーエン兄弟の長編デビュー作「ブラッドシンプル」、アカデミー賞作品賞受賞作「ノーカントリー」と同じく、「小市民が企んだ小悪事が、想定外に展開して、結果、大惨事に至る」というタイプのクライム・スリラーである。
彼らの十八番と言えようか。

シリアスなスリラー成分メインのブラッドシンプルやノーカントリーと比較すると、今作はブラックコメディ成分多めの配分となっている。

今作の舞台、ミネソタ州は、コーエン兄弟の出身地である。
同地は北欧系やドイツ系の住民が多いことで知られる。
登場人物たちは、地方特有の「方言」を話す。

また、タイトルの「ファーゴ」は、ノースダコタ州に実在する地名。
とはいえ、今作でファーゴが舞台になるのは、冒頭の酒場のシーンのみである。
実に人を食っている。

人を食っていると言えば、今作の冒頭では「This is a true story」と表示される。
また人物名のみ実在の人物と変えているとか、史実に忠実とか、それらしい説明が付される。
これらは、真っ赤な嘘であり、今作が純然たるフィクションであることが公開後明らかにされている(一応参考にした事件はあるらしいが)。
この点は、作中意味ありげに映るポール・バニヤン(ほら話の象徴、アメリカの伝説上の巨人)の像などで暗示されている。

スティーブ・ブシェミやフランシス・マクドーマンドらコーエン兄弟作品お馴染みのキャストが多く参加している。
ジョエル・コーエンの妻であるフランシス・マクドーマンドは、今作の演技で絶賛を受け、キャリア最初のアカデミー賞主演女優賞を獲得している(後にスリービルボードとノマドランドで現在までに3回受賞)。

今作は特にアメリカにおいて、批評家、一般層から現在も高い支持を得ている。
700万ドルの製作費で、6000万ドルを超えるヒットとなった。
アカデミー賞7部門ノミネート、脚本賞、主演女優賞受賞。

[見どころ]
「1917命をかけた伝令」の撮影監督ロジャー・ディーキンスによる、美しいミネソタの雪景色。
独特の淡々としたテンポで刻まれる、ブラックなユーモアと緊迫感。
フランシス・マクドーマンド、ウィリアム・H・メイシー、スティーブ・ブシェミ、ピーター・ストーメアという、個性の強すぎる名優たちの演じる、愉快な登場人物たち。
コーエン兄弟十八番の、小市民たちのドミノ倒し的転落劇。

[感想]
この味わい、クセになる〜!!!

美麗な演出に暴力描写や性描写もアリ。
話の筋だけ見ると、いわゆるクライム・スリラーである。
シリアスな話になってもおかしくはない。
しかし、全編から滲み出るこのなんとも言えない乾いた可笑しみ!!

そのおかしみの多くは、役者陣に依っている。
最初の酒場のシーン。
ウィリアム・H・メイシー演じるジェリーが、狂言誘拐をもちかけるのは、スティーブ・ブシェミ演じるカールと、ピーター・ストーメア演じるゲア…。
もはやこの面々の顔面を見た時点で、計画がうまく行かないことは、明らかである。
ウィリアム・H・メイシー(ジュラシックパーク3の父親!!)の、いかにもダメそうな顔!!
スティーブ・ブシェミ(アルマゲドン!レザボアドッグス!コン・エアー!!)の何やらせても面白い顔!!!
そして、ピーター・ストーメア(アルマゲドンのロシア飛行士!ロストワールド/ジュラシックパークのハンター!)の、本気でバカなんじゃないかと誤解するレベルの演技力と顔面力!!!
彼らはアントン・シガーのような超然とした存在ではなく、ごく平凡に道を踏み外した男たちだ。
3人の行く末が気になりだしたら、もはやストーリーから目が離せない。

今作は、物語上、ほぼ33分ずつに分けられ、いわゆる三幕構成になっている。
いわば、事件の発生、事件の展開と捜査、事件の顛末、といったところか。
フランシス・マクドーマンド演じる警察署長は、第二幕相当部分でようやくお目見えする。
このマージ署長のキャラクターが、また絶妙に魅力的である。
素朴。
マイペース。
穏やかな口調。
ごくありふれた、夫婦愛。
なにしろ妊娠中なので、激しいアクションは御法度だ。
捜査も地道。派手なことはしない。
いわゆる、探偵役の典型からは外れるかもしれない。
しかし、判断は明晰で、道から外れることはしない。人間の軸が、すっと通っている。

ジェリーの「ほら話」が決定的に取り返しのつかない事態に至った後、ジェリー、カール、ゲアの狂想曲は激しさを増すばかり。
これを平温で追うマージ署長は、三者にとっての迫り来る脅威であると共に、「平凡な悪」と対称的な存在である。
観客は、ハラハラと苦笑が混じったような、複雑な感情で彼らの行く末を見守ることになる。

忘れ難い余韻があるでなく。
感動や号泣があるでもないが。
「何だったんだ、この作品?」という疑問は観客の胸に残る。
そんな作品である。
人によっては、何が面白いか、意味不明かも知れない。
私は、大好きだ。

[テーマ考]
今作は、この世の惨事が、愚かさの連鎖反応によって生じる様を描いた作品である。

今作冒頭のThis is a true storyとの宣告。
これは、単なる嘘っぱちだろうか。
ある意味で、今作が、この世界の真相を描いた物語、ということではないのか。

マージ署長は、作中、あるシーンで惨事について「どうして?」と問いかける。
答えは示されない。
それは、人が愚かなことに、理由などないからではないか。

思えば、ジェリーも、カールも、ゲアも、ウェイドも、ヤナギダも、それぞれに愚かだ。
取り繕い、すぐバレる虚言を吐き、あるいは、衝動的で、短絡的だ、
そして、自分だけは愚かでないと信じて、他人を見下している。
観客は、そんな彼らを、愚かと笑い、その転落を愉しむ。
しかし、だ。
彼らと我ら、どう違うと言うのか?

何しろ、作り手こそが、率先してすぐバレるほら話を語っているというのに。

今作のマージ署長とジェリーの対比からは、いくつかの教訓が得られるかもしれない。
正直であること。
道を踏み外さないこと。
職務に忠実であること。
パートナーを思いやること。
ズルをせず、一歩一歩進んでいくこと。

[まとめ]
コーエン兄弟の代表作にして、演出、脚本、撮影、役者陣が、何とも言えない味わいを醸し出す、クライムスリラー/ブラックコメディの傑作。

今作はアメリカで大変人気があり、2014年、コーエン兄弟の製作総指揮の下、同名のドラマが作られている。
内容は全く映画と異なるようだが、シーズン1は好評を受け、エミー賞を取っている。
こちらも見てみたい。