マツモトタクシー

激突!格闘技 四角いジャングルのマツモトタクシーのレビュー・感想・評価

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アントニオ猪木さんが亡くなった。。


昭和42年生まれのマツタク
中学生の2年生位からプロレスに填まっていた😀
金曜日夜8時は新日本、土曜日の夕方は全日本が放送されていて📺
丁度、親日ではタイガー・マスクがデビューした頃だった🐯

もうモハメド・アリ等との格闘家との対決で猪木の知名度はプロレスファン以外の一般の人にも浸透していた

当時の学校の教室では殆んどが猪木派だった
馬場さんはもう結構、高齢だったし馬場ファンはいたけどもう鶴田の方が強いんじゃないかという雰囲気だった

特にHくんは熱烈な猪木信者だった
彼の近所に10コ以上年上の熱烈な馬場信者がいてよく論争になっていたようだ

「明らかに猪木の方が強いのに認めないんだよ」
それで最後は対戦成績を持ち出され猪木は馬場に勝ってないと言われたそうで
「そんなの新人の頃やんか、今なら猪木の方が強いし馬場が猪木の対戦要求から逃げてるやん」
と怒り心頭だった😅

後にマツタクの1番好きなレスラーであるスタン・ハンセンが
「猪木と馬場どちらが強かったか?」
の質問に少し考えた後で
「どちらも強かったが少し馬場さんの方が強かったかな」
その記事を読んだHくんとマツタクは信じられず茫然自失😅

マツタクも何となくアングルやブックがあるのでは?と気付き始めていたがここ1番では真剣勝負なんだ!多分😁と言い聞かせていた

祖父からは
「相撲は真剣!プロレスは八百長や」
と言われ父親からは
「ボクシングは真剣勝負や!プロレスは好きやけどあれはショーやな」
と言われ従兄弟からは
「八百長に決まってるやん!新聞には野球の試合結果やボクシングの具志堅の結果は載ってるやろ!プロレスの結果なんか載ってないやん!」
「載ってる新聞もあるで!」
「それは大スポやからやん笑」
と言われて哀しくなっていた。。😅
まぁそうかもしれん。。

そんな時、大人からの救世主
村松友視著作「私プロレスの味方です」
この作品に随分勇気付けられたなぁ😁

その後高校になったマツタクは自我が芽生えたのかジャイアント・ストロングマシーンを観てからプロレスから何となく離れてしまった。。🌱

Hくんは前田に心酔しUWFに填まっていった
1度大阪の体育館の試合をどうしてもお前に見せたいといわれ観戦したことがある
「な、前田強いやろ!敵なしやで!猪木は旗揚げにこなかった」と捲し立てていた
しかし余りピンとこなかった😅
今考えるとやはりプロレスが好きだったんだなぁ。。
後の邪道の大仁田には共感したし😁

皆、真剣に熱く語りあっていた昭和のプロレス😁
今振り替えるととても懐かしい☺️



個人的にマツタクの中でその職業以外の一般人にも認知度があり規格外で天然なところがありつつ自己プロデュースに長けていると思っている人物が3人いる

長嶋茂雄さん、矢沢永吉さん
そしてアントニオ猪木

この3人はエピソードに事欠かないし全てにおいて規格外
こういうタイプは無軌道な人も多いけどこの3人はそういう破天荒な部分も持ち合わせながら自身を別の自分が俯瞰でちゃんと見ているように感じる
天才と言い換えてもいいのかも😀


マンションでライオンを飼っていたとか🦁
ジョニーさんの上げていた動画で素人にも全力で殴ったりとか。。
ハワイで日本人から闘魂注入を頼まれ列が出来てその列に何事かは解らないが外人も並び出し小川が慌てて止めたり。。
1、2の3でダァーと叫んだり😆
試合運びが時には卑怯だったり。。
「負けること考えて戦う奴いるかよ!」とアナウンサーをドついたり。。
後継者と見られていた藤波辰爾を宙ぶらりんにしたり。。
藤田や小川で揺さぶりをかけたり。。
兎に角、とても人間くさく人として魅了満載だった☺️


不沈艦 スタンス・ハンセン戦
人間山脈 アンドレ・ザ・ジャイアント戦
欧州最強の男 ローラン・ボック戦
インドの狂虎 タイガー・ジェット・シン戦
超人 ハルク・ホーガン戦
はぐれ国際軍団 ラッシャー木村戦
巌流島対決 マサ斎藤戦
等々。。



数々の思い出をありがとう‼️
猪木ボンバイエ♪猪木ボンバイエ♪ 
合掌🙏