春とヒコーキ土岡哲朗

ファニーゲーム U.S.A.の春とヒコーキ土岡哲朗のネタバレレビュー・内容・結末

ファニーゲーム U.S.A.(2007年製作の映画)
-

このレビューはネタバレを含みます

我々も、この暴力の犯人である。

受け入れざるを得ない、映画へのアンチテーゼ。
二人の青年が映画製作者、一家が映画の登場人物、そして我々観客が観客、という状態の比喩だったと気づいて、「そういう意味か!」とゾッとする。

始まりも終わりも無音声のクレジットが流れるが、本来映画のパッケージされるべき部分が、包装されずに剥き出しになっている。
空中から映される一台の車で本編開始。一つの家族がこの物語のターゲットに選ばれた。そして青年2人が家におしかけ、理不尽な暴力が始まる。
12時間後、一家は生きていられるか、青年は賭けを観客に呼びかける。映画の中で非情な賭けを望んでいるのは、その映画の悪役でなく、いつも観客だ。

一家の子供を殺したあと、片方の青年が「殺す順番を間違えるな」と言うが、これはお話やエンタメの成立のためにキャラクターが死ぬ順番がある、つまり、作り手がキャラクターへの殺人をしているということ。
むせび泣く父親の姿は見ていて苦しかったが、全ては観客に映画を提供するため。
青年がカメラ目線で言う、「皆さんはこれで満足ですか?こんなラストで納得できますか?」。悲しいかな、一家の悲劇の続きは知りたいです。

妻が反撃して一人の青年を射殺するが、もう一人の青年がリモコンで巻き戻し、妻に銃を取らせない。登場人物がいかに暴力から逃げようとしても、全く眼中に入れずに、物語はより悲劇的な方向へ展開される。
夫も殺され、妻は約束の12時間経過を前にヨットから落とされる。「ヨットの操作は面倒だし、腹が減ったから」という理由で。登場人物の運命は勝手な都合で決められる。
我々にとっては映画でも、映画の登場人物からしたら、こんな残虐なことが現実だ。

青年たちは、途中で出てきた別の一家をターゲットにして近づいていく。このゲームは終わらない。暴力的な描写を映画の味付けとして喜ぶ客がいる限り、登場人物をいたぶる映画は作られ続けるだろう。