逃げるし恥だし役立たず

ブレイブ ワンの逃げるし恥だし役立たずのレビュー・感想・評価

ブレイブ ワン(2007年製作の映画)
3.5
最愛の恋人を暴漢に殺されたヒロインが、拳銃を手にしたのを機に、もう一人の新たな自分に目覚める。処刑人のように悪人達を倒しながら葛藤に揺れるヒロインの姿と其の顛末を描くアクション・サスペンス。
ニューヨークのラジオ局でパーソナリティとして働くエリカ・ベイン(ジョディ・フォスター)は、婚約者デイビッド・キルマーニ(ナヴィーン・アンドリュース)との挙式を控え、幸せな日々を過ごしていた。だがそんな或る日、散歩中に三人組の暴漢に襲われ、婚約者を殺され、彼女自身も瀕死の重傷を負う。暴漢一味は捕まらず、悲しみと絶望に打ちひしがれるエリカ・ベイン。ふと衝動に駆られて一の挺拳銃を手に入れるが、其の直後、コンビニで強盗事件に遭遇した彼女は、咄嗟に銃を取り出し犯人を射殺してしまう。それがきっかけとなり、彼女の中でもう一人の自分に目覚めてしまう。自分の中に他人がいるような感覚で銃を手に取り、復讐と魂の救済を求めるエリカ・ベインは夜の街を彷徨い復讐を開始するが、やがて市警ショーン・マーサー(テレンス・ハワード)の捜査の手が彼女に伸びていく…
悲しい復讐者の選択の是非を観客に問いかける、ビジランテ(自衛市民)を描く内容に劇場公開当時は物議を醸した問題作とあるが、古くは『牛泥棒(1943年)』に『狼よさらば(1974年)』、『ダーティハリー2(1973年)』、近々では『ミスティック・リバー(2003年)』などゴマンと語り尽くされたテーマであり、法秩序に倫理と道徳、権力と暴力と云う、米国特有の対立した国家観に拠るものだろうが、何が問題作なのか個人的には正直サッパリである。
ビルの窓ガラスに映る俯瞰的に捉えたニューヨークの街並に、情緒豊かで知性的なジョディ・フォスターの語り部、正義の執行で恍惚感を覚えていくシーンや、リスナーの声を浴びながらスイッチを切り替えるシーンなど、倫理的葛藤にもがくヒロインをDJという職業を活かして映像と音によって的確に描写、抑えた演技のテレンス・ハワード(ショーン・マーサー刑事役)との控えめな関係性など、全体的に淡泊に思える描写ながら、瀕死のヒロインが治療されるシーンに恋人とのベッドシーンを対比させる演出は強烈で、ニール・ジョーダンによって重厚で繊細なタッチで描かれている。絶望の底に沈む被害者が狂気を宿した加害者になっていく振れ幅の大きい心情を緻密に表現、ジョディ・フォスターの繊細さと時折見せる愛らしい表情と、凛とした佇まいには惚れ惚れする。心の闇を抱えたダークヒーローの復讐劇だけではなく問題提起を含みながらも、人間をしっかり描くことで見応えあるドラマとなっており、復讐へ至る心的過程をここまで丁寧に掘り下げて描いた映画はなかっただろう。
コンビニで遭遇した殺人現場、地下鉄の二人の悪党までは偶然の側面もあり、その疾走感が持続しているのだが、都合主義な展開や疑問符がつくエピソードにより、中盤で底が割れドラマの重点が絞り込まれるにつれ馬脚を現す。スタイリッシュに処刑人による復讐劇を撮影すれば、其れなりの映像的テンションは担保されるし、地味だけど臨場感が強くスリリングな展開は結構楽しめて、淡々と紡ぎだされる物語が映画を観たという満足感に繋がっているが、悪く言えば作り手の論点が見え辛く何が言いたいのかよくわからない。安易なアクション狙いではなく緻密な心理劇であり見応えある人間ドラマであるのだが、内容的には意外と陳腐だし、賛否両論のラストに至る終盤の展開は理解に苦しむ。所詮はビジランテ(自衛市民)を描いた娯楽作品であるため、其処までの期待を上回る要素が、あまり見当たらず、普遍性を欠く物語を見せられても傍観者である私は困惑してしまう。
『タクシードライバー(1976年)』の本卦帰りか宗旨変えか…「許せますか、彼女の選択?」は個人的にはアリなんだが、あの只々鬱陶しいだけのラジオ番組はナシだな…