のっち

悦楽共犯者ののっちのネタバレレビュー・内容・結末

悦楽共犯者(1996年製作の映画)
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このレビューはネタバレを含みます

ヤン・シュヴァンクマイエルに満足

共感から新鮮さを通り越して不快感を超越したあたりから恐怖を感じて終幕。

成人向けの雑誌を鶏に貼り付けて自らが鶏怪人となり隣家のおばさんを襲う。おばさんは藁で作った人形をサディスティックにいじめ、雑誌屋の主人はアナウンサーにお近づきになるためにお触り機械を作り、そのアナウンサーは夫が小屋にこもりあらゆる感触を味わっているのに涙する。それらをつなぐ郵便配達員が作るのはパンをくり抜いて自分の耳くそ鼻くそにした餌。日曜日という単語と餌を送りつける。

ストーリーを言語化するとわけのわからなさが際立つ。はじめはエロ本とか指サックを全部の指にはめてみるとか共感できるのに、タンスの中の粘土で鶏作り始めたあたりからついていけなくなる。(ちなみにタンスの中に粘土や食べ物が入ってるのは監督のあるある。)
それぞれのフェティシズムが実行される際のストップモーションは監督らしさが出てて良い。あのカクカクした動きは癖になる。
ラストでは雑誌屋の主人が鶏の羽をめん棒に巻きつけてたり、配達員が魚を眺めてるのは、明らかに彼らの悦楽が共有されたから。そこに隣家のおばさんの死と、主人公の行為は共犯的と言ってもいい。

ヤン・シュヴァンクマイエルのグチョグチョした気持ち悪さがてっぺんを抜けて、万人にもその悦楽があることを示した作品。それでいて、その悦楽は無意識のうちに他人と混ざり合っているのではないかと恐怖させる。
のっち

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