さく

サンセット大通りのさくのレビュー・感想・評価

サンセット大通り(1950年製作の映画)
5.0
本作は、私が大学生の頃観ようとして途中で挫折したことがあります。当時、バイト仲間のYくん(映画好き)がそれまで映画に全く興味のなかった私に、ビリーワイルダー監督の『情婦』を奨めてきて、なんとはなしに見てみたら「面白い」(どうでもいいが当時はまだVHS)。ビリーワイルダーすげーと思って(単純)、近所のビデオ屋に在庫のあった『アパートの鍵貸します』『お熱いのが好き』と見たが、これまたどちらも面白い。

その後、手に取ったのが『サンセット大通り』でした。これまで見てきた3作はそれぞれ経路は違えど、どこかコミカルで軽いタッチなところもあって、映画初心者(?)でも見やすくてかつ作品としてもクオリティが高かったけれど、本作は、どうも暗いし重い。当時は映画を見るときには「わくわくする楽しさ」を重視していた(ただのアホ)こともあってか、「これは辛い」と途中で投げ出しました。

あれから15年...(多分そのくらい)

若かりし頃は「なんやねんこのメンヘラ気違い女は...男も私みたいにふにゃふにゃしてて腹立つし」とか言って途中で停止ボタンを押したわけですが、おっさんになった今見ると、何とも身に染みる。

確かに、ここまで過去の自分の栄光に固執している人にはそうそうお目にかかれませんが、多かれ少なかれ、こういう感情って大半の人が持っていると思うし、周りも見てもこの手の人はいるじゃないですか。私もサラリーマンなんでこれ以上余計なことは言いませんが。もちろん私自身も失敗だらけの人生でもそれなりに誇れる過去はあったりするので、未だにその頃の写真や証拠なんかを引っ張り出して「どやぁ」みたいなことはします。

しかしながら、そんな過去の細やかな栄光を場末の居酒屋で語るサラリーマンなどを映画にしても誰も見ないので、こうして極端な例をもって映画化されているわけです。これを「メンヘラ」だの「気違い」だの言って切り捨ててしまうのは、あまりにもナイーブで幼い人間観だと思います。

余計な話に逸れまくりましたが、本作はそんなちんけなサラリーマンの話ではなく、サイレント映画時代の大スター女優だったノーマ・デズモンド(演グロリア・スワンソン)が主人公です。トーキーが主流となるに連れ、表舞台から引き摺り下ろされて、彼女の居場所は無くなってしまう。背景は色々ありますが、長年スターへの復帰を夢見ているいるうちに、気が触れてしまうわけですね。後ほどWikipediaを読んでわかったのですが、グロリア・スワンソンさんも同じような境遇の人でサイレント映画のスターだったそうです。彼女の自伝みたいにも思えますが、キャスティングされたのはコトの成り行き上で彼女向けの台本が書かれたわけではないようです。

ノーマの召使を演じるエリッヒ・フォン・シュトロハイムも、元映画監督(サイレント映画の重鎮)で、なんと、グロリア・スワンソン主演の映画を撮っている最中に彼女と揉め事をおこして撮影中止となったそうです。事情通みたいに偉そうに語ってますが、全部Wikipediaの情報です。こうした俳優の裏事情まで知るとますます本作の趣が深くなりますね。

「何でもかんでも台詞で説明し始める映画(邦画に多い傾向)」はほんと嫌なので、ノーマの主張はある意味わかります。いっそのことサイレントにしてしまえばいいのだ。ちなみにデヴィッド・リンチ監督に『マルホランドドライブ』の元ネタになったとも言われているようです。多分もう私のレビューよりWikipediaを読んだ方が早いと思います。
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