ふたーば

サンセット大通りのふたーばのネタバレレビュー・内容・結末

サンセット大通り(1950年製作の映画)
3.9

このレビューはネタバレを含みます

個人的には結末にどうしても肩透かしを感じるのだけど、ビリー・ワイルダーの作る映画、やっぱなんか好きだな……

倒叙的な始まり方、虚栄心、堕落、過去の栄光、そういう暗い要素をグツグツと煮込んだサンセット通りの大屋敷。自画像だらけの広間にドアノブのないドア、猿の葬儀と、ちょっとしたことだけど、何かがおかしくなってしまっている。もうその描写だけでめちゃめちゃワクワクできる。

でもやっぱり、この映画の魅力は終始「人」にあったと思う。どの人物にも二面性があってその見せ方がとにかくうまい。ちょっとした表現でちゃんと納得できる人物として見せてくれる。

主人公は一見怠惰な夢追い人だが、ここ一番ではちゃんとケジメをつけようとする度量がある。執事のマックスは固い信念の下、合理的な計算に基づいて行動できる冷静さを持っているが、それ故にある意味ノーマに負けず劣らず狂っている。

そしてノーマ・デズモンドはハリウッドの狂気の権化のような人物。でもどんな自己中心的な自惚れ行動にもどこか同情の余地を感じさせるところがあり、そこが逆説的にヒヤッとした恐ろしさがある。

多分見せ場でもなんでもないシーンなんだろうけど、ノーマがかつての職場だったスタジオに入るシーンが好きだな……昔の仕事仲間たちが目を輝かせて集まってくるところ……ノーマの築いた帝国は本物だったし、そこに戻りたいという気持ちはある意味当然なのだと思わせてくれる。だからこそデミル監督は無碍に門前払いできず、気を遣ってお茶を濁そうとしてしまうのだろうし……そこがまた切ない。

ラストは納得だったけど、この時のノーマはもはや人間的なものを一切失って脚光を浴びることにのみ取り憑かれた哀れな存在、という感じがしてそこがちょっと残念。すごいシーンではあるのだけど、どこにも感情移入できなかった。またこの辺をほぼ同時期の『欲望という名の電車』と比較してしまい、しかも私はあちらの「この世界に居場所を無くした人が、狂人の世界では立派な貴婦人として迎え入れられてハッピーエンドになる」という結末を愛してやまないので、点数はやや低めに……

でもビリー・ワイルダーの人間に対するスポットの当て方がとても好きだということが確認できてよかった。いつかまた見返したい。
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