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ボウリング・フォー・コロンバインのhasseのレビュー・感想・評価

4.3
アメリカが銃社会である根元的要因は「見知らぬ他者への恐怖」である。長いようで短い歴史の中で、アメリカ社会のマジョリティである白人は恐怖を克服するために銃で武装し、ネイティブアメリカンや黒人といった他者を排除してきた。

その歴史認識は間違っているわけではないが、一面的な見え方にすぎない。ムーア監督は、「他者への恐怖」はとりわけ現代においてはマスメディアが煽り立て、民衆に植え付けてきた一種のフィクションであることを暴き出す。暴くだけではなく、NRA(全米ライフル協会)会長チャールストン・へストンのような超大物にも臆することなくクエスチョンを突きつけるーー「あなたは何故銃を家に置いているのですか? 置くだけならまだしも実弾を込める必要はありますか? 自衛のためと仰いますが、一度でも空き巣や強盗が家に押し入って命を脅かされたことはあるんですか?」しかも、ムーア監督のお家芸・アポなし突撃取材で。

フィクションとしての「他者への恐怖」によって利する者たちがいることも、ムーア監督は余念なく追究する。武器メーカーや販売会社、それに、その他者を正義の名のもと制裁すると標榜して支持を集める政治家たち。資本主義国家、正義の国のアメリカの欺瞞に迫る数々のシーンには唸らされる。

個人的に思ったのは、人間は悲観論が大好きだ、ということ。人間は他人の不幸話が好きな生き物だ。「他者への恐怖」は、「いま世の中は一部の邪悪な人々の存在のせいで、こんなに悪い方向に向かっている」という悲観論へと結び付いていく。自分は安全圏にいながら、世の中を憂いたい、語りたいのだ。「他者への恐怖」を煽る報道は、人間のそんな欲求を手軽に満たしてくれる。

隣国カナダの人々との考え方の違いが興味深かった。家に鍵をかけないのは当たり前、泥棒に入られても気にしないよ~という人も。ある人の「アメリカ人は家に鍵をかけることで他人と線を引き、自分を守ろうとする。カナダの人にとってそれは自分を閉じ込めることだ。考えられないよ」という思想が印象的だった。(もっとも、カナダでも2020年等に凶悪な銃乱射事件が起きており、時代とともに考え方は変わっているかもしれない)

日本は、ざっくり言うなら田舎=カナダ式、都会=アメリカ式考え方という感じだろうか。都会で独り暮らしの友人が、自宅のマンションの隣人の名前はおろか、顔、年齢、職業、趣味、政治的信条など何も知らないと言っても全く驚きもしないだろう。

いわゆる銃社会への警鐘を鳴らすタイプのドキュメンタリーと思っていたが、それだけでなく、銃社会の根元にある「他者への恐怖」の歴史と虚構を暴く奥深い作品だった。
冒頭の、銀行窓口で口座開設したらもれなく銃一丁プレゼント!とかいうワケわからんキャンペーンで心は掴まれていたが。アメリカではこんなに手軽に銃が手に入るんだよ、という導入がポップすぎるて。
それと、大手スーパーKmart本部に交渉して、全店舗で銃弾の販売をやめさせるという、それだけで映画一本作れそうな偉業を10分くらいでさらっとまとめるあたり、監督のスケールのデカさを感じた。
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