チネマエッセ

異邦人のチネマエッセのレビュー・感想・評価

異邦人(1967年製作の映画)
5.0
日本もイタリアと同年に公開されましたが、英語版で、TV公開もあったそうなのですが短縮版だったそうです。

ヴィスコンティの幻の作品とされている所以は、原作のアルベール・カミュの未亡人が「原作に忠実であるように」とかなり厳しく、脚本もSuso cecci d'amico(この人も相当あくの強い女性でヴィスコンティの右腕となった人だが)だけでなく、カミュの弟子などに介入させて、ヴィスコンティの思い通りにならなかった作品であるとか、(そもそもカミュは生前映画化を嫌がったとか)それゆえ彼の遺言でこの作品はソフト化をしないように書かれてたとか、諸説色々あります。イタリアでも結構珍しい作品とか。

それが今回イタリア語復刻版で配信までされるとは、きっと権利料はどれだけ引き上げられたんだろうと憶測します。(憶測ですが)

そしてヴィスコンティの作品の中で抜きん出て評判が悪くて、イタリアに留学していた増村保造も「映画芸術」に『かのヴィスコンティも主人公ムルソーの内面的な心情はさっぱり書けず』とし『やはり文学の映画化は至難の業である』とまでいうほど。あと舞台出身の彼だからこそ、演劇的に描き過ぎてしまったと批判している。

私としては全くそういうふうに思わなかったのですが、むしろ、文章を読んでいて、自分の脳裏に浮かんだイメージを目の当たりにしているような感覚さえ覚えました。そういうことを意識していたのかは分からないけれど、クローズアップがわざとらしいぐらい多用されていたり、主要人物以外の表情はあまり印象に残らないよう、もしくは意識的に隠すなど、工夫してるシーンもしばしば見受けられたので、そういう作用は少なからずあったと思う。

ヴィスコンティはインタビューに「本当はシナリオなんか要らなくて、原作片手に撮れば良かったんだ」って言っていて、そういうイメージを私も感じました。

あらすじは、カミュの「異邦人」をご存知の方も多いと思いますが、ここに簡単に説明すると、

舞台は第二次世界大戦前のアルジェリア(フランス領であった頃)。名訳と言われる冒頭の「今日ママンが死んだ」で始まります。母の棺の前でコーヒーを飲み、翌日海水浴に行き、女と関係を結び、コメディ映画をみて笑いころげ、そして友人の海の家にてトラブルに巻き込まれてアラブ人を殺害し、殺人動機について「太陽がまぶしかったせい」と答える。判決は死刑であった。

主人公は平凡な一市民のムルソー。あまり道徳的とは言えない不条理な男で、神も信じておらず、しかしだからといって厭世的なのではなく、彼なりの軸にそって人生を楽しんでいる。

彼の発言は非人間的であり驚かされることも多いのですが、それに観客は批判的になれず、逆に共感をしてしまう。そして道徳とは何か、人間的とは何か、人生って何かと考えさせられる。マストロヤンニのあの愛嬌あるかんじと何故か見捨てられない人間性を最大限にヴィスコンティが引き出したと思います。

彼は不思議なぐらい、殺人を犯した自分を弁護しない。生きることに執着がある癖に、事実と異なる表現はしたくない。自分に嘘をつけない。しかし自分のことを自分で納得いくように正しく表現できない。あの自分に対して誠実であることへの慎重さゆえ、私たちはやはり彼を責めることができないです。

そして神の存在を頼りにせず、実存主義。殺人を行う直前と、実刑が下ってからのシーンは本当にすごく良い。マストロヤンニさすがでした。
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