ケーティー

ミッドナイト・ランのケーティーのレビュー・感想・評価

ミッドナイト・ラン(1988年製作の映画)
4.5
ラストのセリフがしびれる一作
構成・展開のうまさと俳優のよさが一体化した娯楽作だが、男の正義と友情という骨太なテーマが根底にある


賞金稼ぎで荒くれ者の元刑事が、賞金首の几帳面な会計士を連れて、アメリカを横断するロードムービーで、いわゆるバディ物となっている。気さくな面もあるがずさんな主人公と、それに正論で几帳面に反論する相手役という構図(※1)は、定番の型だが、おそらくこの古典的な型の現代版の原型をつくったのは、ニール・サイモンの「おかしな二人」などだろう。ただし、本作のストーリーは、男の友情というテーマはしっかりあるものの、バディ物として見たときは、メイン二人の価値観の相克が二人を終盤手前で離すきっかけ(※2)とはなっておらず、大枠はバディ物だが、厳密にはバディ物の型を踏襲しているわけではない。

しかし、本作はそれでも全く問題ない。それは、本作の主眼は、価値観の違う男二人の物語ではなく、価値観が違うように見えて、実は似た正義を根底にもっていた男二人の友情の物語だからだ。だから、価値観が対立して分裂するシーンが終盤手前に必要かどうかを考えることは、ナンセンスだろう。

本作はとにかく展開がうまい。特に中盤過ぎまでの逃走劇は、本人たちが意図せずトラブルに巻き込まれているのに近いだけなのに、それが警察やギャングたちの裏をかき、逃走が成功してしまう。その過程が最高だ。最近の映画だと、「運び屋」にもそういう面白さがあったが、登場人物たちのわがままさや独特の人間観が意図せず成功をもたらすという話の構成が実に見事である。だから、おそらく本作のつくり(展開)を真似て作品をつくりたくなる人もいただろうし、今観てもいるだろうが、本作はあまりに発想が突き抜けていてなおかつ展開が多く、おそらく、このつくり方を表面だけ真似しても、コントになってしまう危険があるだろう。しかし、本作がコントにならないのは、男の友情という骨太なテーマを根幹に忍ばせているからだ。(※3)その、ともすれば、説教臭くなりかねないテーマを、気づかれないように工夫しながら、娯楽作としてくるんで隠して見せていく。しかし、そのテーマがあるからこそ、作品は崩れない。このあたりは、エンタメ作品として、1つのあるべき姿なのではないかと個人的には感動してしまった。

そして、ラストが何といっても好きだ。ごく短いシーン、短いセリフなのに、主人公の生き様やラストの感情がすべて集約されている。それでいて、直接的ではなく、シャレが効いていてカッコいい。これだけ展開もてんこ盛りで、ラストをどうまとめるのだろうと観ていたが、その鮮やかな手法に、ただただしびれた。


(※1)ドラマ「アットホーム・ダッド」は、この型を踏襲しているが、正論で几帳面に振る舞う奴を主人公にして、変わる側を逆にしたのが新しかったのかもしれない。それは、正論を振りかざす人間にも、独善性やわがままさがあることをあぶり出すという独自の現代的な視点をもって描かれており、同じ尾崎将也さん脚本の「結婚できない男」では、こうした視点をよりエスカレートさせて面白くしている。

(※2)例えば、会計士が終盤手前で連れ去られるシーンの前に、二人の言い合いなどを入れて、それがきっかけの行動で、会計士は連れ去られるという流れを作れば、バディ物の原則に適う。しかし、本作の主眼は、相反する価値観をもつ二人が実は根底では似た正義感をもっており、それが友情として結実する話なので、映画のあらすじでも全く問題ないのだと感じた。

(※3)ちなみに、先に例に出した「運び屋」も敵を惑わす主人公の独特の行動は彼自身の人生観とつながっていて、味わい深い作品となっている。