とうじ

スリ(掏摸)のとうじのレビュー・感想・評価

スリ(掏摸)(1959年製作の映画)
5.0
ブレッソンの映画は、「白夜」が死ぬほど刺さって(あれはほんまにやばい。原作も好き。)、「ラルジャン」と「田舎司祭の日記」は心から大好きで、「バルタザール」と「少女ムシェット」は、成功か失敗かに関わらず、その実験自体を評価したいくらいには、特別なものであることは理解できた、という感じ。

でも、「バルタザール」と「少女ムシェット」は、未だ自分がどれくらい好きなのかどうか判断できておらず、それぞれ再見したいと思っている。それらを見たときは、その独特の語り口に対する戸惑いの方が割と強く、オリジナリティから派生する魅力に引き寄せられるような感覚はそこまで覚えなかった(初めてレディオヘッドのKID Aを聞いた時もそんな感じだった)。

それは、自分が初めて見たブレッソンだったこと(高校生くらい?)も大きいと思うのだが、その2作に欠けていて、今回見た「スリ」を含む、自分が心から面白いと思えた他の彼の作品群にみることができる要素とは何なのか。それは、ある種の「逸脱」の過程を描いているかというところだと思う。
「ムシェット」はそもそもそこから逸脱できる定位置みたいなものが形成されていない少女が主人公で、「バルタザール」は逸脱の概念がそもそも理解できているのかがわからないロバが主人公だった。
その点本作は、あるインテリの男性が、一般社会の共通認識である「法律」を破る(スリをする)ことで、どんどん「逸脱」の傾斜を、そうと自覚しながら滑り落ちていく様を描いていく。その過程で、彼の中で「正義」や「愛」、「友情」への信頼感覚も変貌していき、彼に対する外的な世界のとっかかりがどんどん小さなものになっていく。しかし、それでも彼は完全なる狂気に陥って、内なる帝国を築き上げることはできない。そのような宙ぶらりん状態の中、彼はスリという行動に依存していってしまう。
このスリの描写が本当に素晴らしい。最初の方の、緊張で震える主人公の手と対照的な静かで着実なカメラワークも見事だし、映画が進むにつれて、主人公の技の落ち着きと巧さがその映像感覚にどんどん追いついてくる感じもめちゃくちゃ上手い。

ブレッソンは、批評家から無表情で感情のない形式主義者として認識される事が多いが、本作のラストシーンなんかは、エモーショナルな感覚が極限まで差し迫ってくるような場面である。映画の中で、エモーションの連鎖、拡大をやりすぎているからこそ、逆に、全体としてみたときに冷たい印象を受けるのだろうか。本作ではあまり冷徹な印象は受けなかった(でも「ラルジャン」とか「ムシェット」の殺伐とした冷たさは確かに凄まじい)。

本作を見ると、陳腐な表現だが、映画でしか得られない興奮の一形態の最高峰をくらっている感じが凄くする。「ムシェット」と「バルタザール」めっちゃ見直したい。
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