グレートマウンテン

ロゼッタのグレートマウンテンのネタバレレビュー・内容・結末

ロゼッタ(1999年製作の映画)
5.0

このレビューはネタバレを含みます

これほど単刀直入かつ瑞々しく開始される映画をほかに知らない。

薄幸な少女への同情を誘う感傷映画などとは無縁の映画であることが、この鮮烈な冒頭シーンから明らかだ。

少女ロゼッタはアルコール&セックス中毒の母親とトレーラーハウスに住んでいる。学校には行っていず、ぎりぎりの貧困の中にいる。

そんな彼女は「定職」につくことによってのみ「普通の生活」を手に入れられると信じているのか、なりふりかまわず職探しをしていく。彼女に優しく接してくれるワッフルスタンドの青年の親切さえ踏みにじって職を得る。

ダメな母親を背負ってただひとり生きていこうという少女のエゴイズムを誰が批判できるだろうか。

そうまでして得た職を彼女はあっさりと投げ捨てる。ラスト部分のテンポ、そして切れ味はすごい。「最後の食事」に卵をゆで、額で割って食べる。このあたりで観客は彼女が何をしようとしているのかを察することになるが、「貧困」ゆえに死ぬことさえできないラストに唖然とさせられる。

ロゼッタがどんなに非情であっても、生きるためである限りその姿はひたすら美しい。彼女の孤独な戦いは、逆に家族や社会や組織やときに国家にすら守られていないと安心できないわれわれの弱さや甘さを弾劾しているかのようにさえ感じられてくる。

いくつか印象的なシーンがある。ワッフルスタンドの青年リケの部屋で彼と不器用なダンスを踊るシーン、池で溺れかけた彼を助けることをちゅうちょするシーン、ベッドの中で「わたしはロゼッタ、あなたはロゼッタ」ともうひとりの自分に語りかけるシーン、最後の最後で嗚咽するシーンである。

ダンスのシーンでは、唐突に部屋を飛び出す。腹痛のせいのように描かれているが、楽しさや癒しや慰めがあると厳しい生活を戦いぬけなくなるからだ。ほんとうに厳しい生活を送っている人間はささやかな楽しみや幸福さえ拒絶するものであり、ダルデンヌ兄弟監督の冷徹な人間観察が光っている。

他のシーンも安易な解釈をゆるさない多義性に満ちているが、ラストで見せる彼女の涙の受け取り方は千差万別であり、そこに「希望」を見いだす人は多いだろう。

しかしそれは間違っている。

決して笑わない少女が見せた涙。それは仕切り直しのために重たいボンベを運ばなければならなくなったロゼッタの怒りと絶望の結晶であり、哀しみではなく屈辱の涙だ。

惨めさと屈辱の極北でついに彼女は泣く。

嗚咽する彼女の中には神がいる。孤独な戦いを戦いぬいた者だけに宿る神がいる。

これほどの惨めさ、屈辱が映画で描かれたことはなかった。彼女の涙は、泣いている彼女は、われわれの同情のまなざしさえ拒絶している 。

その潔さは崇高なまでに美しいが、同情のまなざしを拒否することに成功した一点でこの映画は映画史を画する作品になった。

しかしそんなことはどうでもいい。

半世紀以上生きてきて、スクリーンの中でだが、やっと理想の女性と出会うことができた。

ロゼッタ、ぼくと結婚してくれ!