Ricola

お引越しのRicolaのレビュー・感想・評価

お引越し(1993年製作の映画)
3.9
両親の離婚に心が揺れる少女レンコ。彼女の傷つきや発見、奮闘ぶりが繊細かつノスタルジックに浮かび上がる。
子供だからというだけで、自分の意見を通したり聞いてもらえないことのもどかしさが、レンコの周囲の人との関わり方から伝わってくる。
また、火と水という、この2つのモチーフによってレンコの揺れ動く気持ちが巧みに表されている。


走るレンコ。
それは彼女の心のおもむくままに、またはそれ以上に自分の心の平穏を保つために。
父を追いかけたり、母から逃げたり…。
楽しそうにときには無表情で。
彼女にとっては走ることが抵抗である。無言の抗議である。

次に、レンコの人との関わり方について見てみる。
父のケンイチとは友だちみたいにじゃれ合っている。父の引っ越しを手伝う際にも、「ホームシック?」などとからかったりするほどだ。
では家族以外の人物とはどうだろうか。
同級生のミノルに、廊下で秘密を明かすシーンがある。鏡に映るミノルは輪郭がぼんやりとしている。その一方でレンコははっきりと見える。
他にも縁側に座るレンコの隣の人物だけが、簾越しに見えるおかげでレンコが浮き上がるシーンもある。

そして、火と水というモチーフについて。
アルコールランプや花火、お祭りやお盆の火。火はざわつくレンコの心を表現し、さらにそれを掻き立てる。一方で雨などの水も、レンコの心を乱しうるが、逆に鎮める場合もある。
また、レンコが両親含め家族を意識するときには、いつも火か水もしくは両方ともが彼女のそばにある。
スコールが急に彼女たちに降りかかる。
同級生が自身の離婚した両親に関する話をしてきて、つい立ち止まるレンコ。
その一方で、脇から出てきた小さな子どもたちが大雨にはしゃいでいる。彼女たちの寂しい気持ちと、無邪気に雨に喜ぶ子どもたちといった、対比的な構図が、レンコたちの虚しさを増長させる。

最後に少し音に関して触れたい。
この作品において、完全な静寂はほとんどなく、山芋だかをすりおろしているシャリシャリといった音や、虫の鳴き声や水音、電車の音、咀嚼音までもが会話のないシーンのBGMとなる。
それらの音が強調されて、無言の気まずい雰囲気の緩衝材のように働いている。

「わたしはお父さんとお母さんが喧嘩しているの我慢していたのに、なんでお父さんたちは我慢できないの?」
ぶつかり合うことに疲れきってしまい、お互いに向き合うことをしない両親に、レンコは心の叫びをぶつける。

全力で自分の感情をぶつける一方で、なんとか抑え込むこともある。
レンコの複雑な心情とその変化および成長が、家族との直接的関わりだけでなく、モチーフによる描写によって、多面的に描かれていた。
Ricola

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