いののん

ミスター・ノーボディのいののんのレビュー・感想・評価

ミスター・ノーボディ(1974年製作の映画)
4.1
スターチャンネルに2~3ヶ月加入していた際に録画した映画。この映画をちゃんと保存してた私、なんてえらいの!(特技:自画自賛)


原案・製作総指揮はセルジオ・レオーネ。監督であるトニーノ・ヴァレリは、レオーネの同僚(もしくは愛弟子)。トニーノ・ヴァレリ監督作品を観るのは、これで3本目。音楽は、モリコーネ大先生。


そこここに、レオーネを感じる。
出だしから、ステキ!3人の男。3人の男は、それぞれ待っている。時計の秒針が進む音。髭を剃る音。そこに加わる、若干の効果音。緊張感ましまし。
鏡をみていたジェーン・フォンダが振り返って早撃ちするところの画の、なんと美しいことよ。(私の力量不足ゆえ、言葉でうまく表現できなくて残念なのだけど、〈 早撃ちガンマン→剃刀持ってた男→窓→窓の向こうには撃たれて宙を舞う男→その後ろに馬 〉と、遠近法というのか何というのか、奥行きを持って全てが直線に並んでの、スローモーション!!!)こういうのを、決め構図とかドヤ構図とか言う?
そこから、台詞での「ノーボディ」→クレジットどーん→のんきな音楽入りま-す♪の展開も好きやわ~


マカロニ・ウェスタンや西部劇では、名前のない男は、よく登場しているのかもしれない(自信はない。記憶違いかも)。今作では、テレンス・ヒルには、名前がない。ノーボディ。
テレンス・ヒルを初めて見たけど、瞳がブルーというのかブルーグレーというのか、アイスブルーというのか、よくわからないけど、惹きつけられる。フランコ・ネロを思い起こさせる。


鏡やその反射が、随所で効果的に使われている。鏡は、物事を映し出すものだから、余談だけど、日本では、「鏡」がつく歴史書も多い。(例:「吾妻鏡」「大鏡」「本朝通鑑」)この映画は、西部において、黄金期の終焉を描く歴史書であり、時代の転換期を描く歴史書であり、そのなかで思い入れの深い個人を思う個人史でもあり。新旧交代劇でもあり。テレンス・ヒルとヘンリー・フォンダが合わせ鏡のように、反射しあって、互いをキラキラと輝かせている。


マカロニには美女!のハズなのに、本作では美女は登場しない。それどころか、女性が登場しない(酒場での大衆以外)。言い寄られる女性がいない!でもその分、テレンス・ヒルからジェーン・フォンダへの愛が語られる。そして、美女は登場しないけど、愛らしいおじいちゃんが登場する。このおじいちゃんは、私が観てきたマカロニの映画のどこかでお目にかかったことがある(と思う)。おじいちゃん、可愛いすぎ!笑


そこここに、ユーモアがある。それでこそマカロニ!「夕陽のガンマン」の続きのような、帽子の飛ばし合いも。墓場にはサム・ペキンパーの墓(なんでだ?)。最後の方は、語りすぎかなあとも思ったけど、最後の締めの、髭剃りシーン、やっぱり可笑しくて好き。


150人が、ジェーン・フォンダを追っかける。150人・150疋。それはそれは壮観で圧倒的でエモーショナル。舞い上がる砂塵。荒野だ。



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ノーボディは、“他の誰でもない”という意味と、“名前はない”という意味と、その両方で使われていたように思う。前者をヘンリー・フォンダが、後者をテレンス・ヒルが担っていた。その両者が対峙することによって、前者のヘンリー・フォンダは伝説の人となり、後者のテレンス・ヒルは、他の誰でもない人となっていくのかなって。
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