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ありふれた愛に関する調査のmasatのレビュー・感想・評価

ありふれた愛に関する調査(1992年製作の映画)
3.0
バブリーな映画、衰えず。

リアルタイムで観ましたが、勝手気儘にやれてたアルゴ・プロジェクトの象徴的一本。70年代から(ロマンポルノなども含め)才気を迸らせ、日本映画低迷期に一縷の望みを放っていたプロデューサーたちが一丸となって、日本映画新鋭振りを再度放とうと夢見て、玉砕してしまったレーベル。
(『ザ・中学教師』『良いおっぱい、悪いおっぱい』などの傑出した名品もあるにはあったが)
まあ、バブルな大スポンサー、サントリーの大金を好き勝手使って、この機に乗じて、金が集まらないであろうチャレンジングな企画をやっちまった、という、今思うととても羨ましい時代の“野心的”な愚行の数々と言える。なので、アルゴ映画を一から舐めていくことは、低迷期の日本映画、バブルに薫る日本の異様さを探る、重要なカルチャー的側面を検証出来る文化財である。

さて、本作は決してツマラねぇ、訳ではないが、
脚本家が酔いしれる脚本に、
その満足感に耽溺出来ない演出、
そして、独自のナルシズムに酔いしれる演技、と、
まさに三つ巴のテンでバラバラさに、目を覆う酷い映画と言えなくもない。
まさにムンムンと男のロマン満載の、今では本作の存在自体が男尊女卑なコンプライアンス違反。
だが、それだけのものが色めき立つ塊が、今は絶対創られない、一か八かの行ってしまえ!の勢いで、存在したという事実が面白くのしかかってもくる。

あの名画『ふたりぼっち』(88)の監督の名演出も、あの主役の前では、戦意喪失なのがとてもよく解ってしまう。だからこそ、コインランドリーの少女とのシーンは、ここだけは魅せる、という迫力を醸していた。
その主役は、このバブル期トップの“最も抱かれたい男”であり、映画界最大の色気のある男と謳われた男。その驕り高ぶりが最高潮に達している“その勇姿”が、今となっては一つの観モノと言えよう。要するに、あまり巧くはなく(巧く撮ろうとする掛け算も残念ながらなく)、陶酔しているナル振りが、全てを支配しているのだ。

ただ、改めて見直すと、
死にたいくらいに自分が嫌いな、(女でもヤクザの親分でもなんでもイイ)何かに依存したくて仕方がない、情けない探偵の心情が、その醜いナルシズムで増長され、キャラクター造形として“居た堪れない”と思わせる域に達してもいた。

また、その主役の空回りを、津川雅彦だけは自力でその絡み、そのシーンを持ち上げようと苦心しているのが笑える。自分の持ち場は、ガッチリ守っていた。
片や、『野獣の青春』(63)の堂々たるパロディをカマす川地民夫は、状況把握出来ず、散らかされていた。

加えて、梅林茂の名テーマ曲も、自力で作品力をなんとか引き立て様と苦心。

そんなこんなの玉石混淆振りが、1時間47分を飽きさせず、愉しませてくれる事は間違いない。
いまの若い観客が観たら、一周回って、(真意解らずとも)面白いのかもしれない。
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