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人間の証明のMOCOのレビュー・感想・評価

人間の証明(1977年製作の映画)
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「母さん、僕のあの帽子、どうしたんでせうね?
ええ、夏、碓氷(うすい)から霧積(きりづみ)へゆくみちで、谷底へ落としたあの麦わら帽子ですよ」

「犬神家の一族」に次ぐ角川春樹事務所製作映画第二弾。映画・主題歌・小説を一つのパッケージに大々的にCMしたことで、映画はもちろん主題歌も小説も大ヒットしました。
 後々森村誠一氏の小説のメインキャラクターの一人になる麹町署刑事・棟居弘一良(むねすえこういちろう)が初めて登場する作品です。

 1969年、ホテルの密室を題材にした『高層の死角』が第15回江戸川乱歩賞を受賞し注目され、角川春樹氏から映画化前提で依頼され執筆したのが「人間の証明」です。
 森村誠一氏の小説は一つの事件に沢山の事件が紐付いているものが多く、それが持ち味なのですがここまで紐付くと・・・と、いう作品も多く見受けられ、この小説もそんなストーリー展開ですが、当時の私には新鮮でワクワクさせてくれました。

 夕刻を過ぎた東京・赤坂「東京ロイヤルホテル」のエレベーター内で、ナイフで胸部を刺された黒人青年が絶命します。

 所轄の麹町署の捜査で状況から事件に巻き込まれたのはエレベーター外と推察され、所持品のパスポートと宿泊先のカードから被害者はジョニー・ヘイワード、5日前に来日し片言の日本語をしゃべれたことが判明します。
 何日も後、ラジオで事件を知った個人タクシー経営者が清水谷公園からホテルまでその男を乗せたと名乗り出て、その男は東京ロイヤルホテルを指差し「ストウハ」と言っていたと情報提供します。
 清水谷公園を捜査したところ、古い麦わら帽子が見つかり棟居弘一良刑事は「ストウハ」とはストローハット(麦わら帽子)の事ではないかと進言するのですがジョニーの所持品とは断言することは出来ませんでした。聞き込みの結果恐らくこの公園が犯行現場と推測され、犯行時に一人の女性が逃げるように立ち去った目撃証言を得ます。
 棟居は何度も足を運んだ清水谷公園に、犯行時間帯に訪れた事がないことに気がつきその時間帯に現場から東京ロイヤルホテルの最上階「スカイダイニング」が環状のライトで飾られ麦わら帽子のように見えることに気がつき「ストウハ」の言葉の謎を見つけます。
 人物照会依頼を受けたニューヨーク市警のケン・シュフタン(ジョージ・ケネディ)は、ジョニーは「日本のキスミーへ行く」とスラム街を出ていったと報告します。
 さらに個人タクシーに忘れられていた古い西条八十詩集がジョニーのものではないかと届けられ、目を通した棟居が「ぼくの帽子」の詩を見つけ出し「キスミー」は詩の中に出てくる「霧積」と結びつき「ストウハ」は詩集の中の「ぼくの帽子」の麦わら帽子に結び付きます。

 何度も暗礁に乗り上げ、捜査に行き詰まり、少しづつ真実に近づくのが推理小説の醍醐味です。「東京ロイヤルホテル」の屋上ラウンジが夜間にイルミネーションで麦わら帽子に見えることに気がつく件(くだり)と「ぼくの帽子」の詩の発見は前半の大きな山場となるところなのですが、この映画は推理小説の醍醐味である徐々に核心に向かっていくプロセスなど全く無視の脚本です。冒頭エレベーターでの黒人青年の発見に殆ど付随してしまっているのです。
 挙げ句小説では逮捕される八杉恭子は映画ではファッションショーの受賞スピーチ後、那須警部(鶴田浩二)の指示で逮捕が見送られ自殺するエンディングに変更されているのです。事実なら現場指揮をしていた那須警部は懲戒免職になるような失態が美談のように描かれているのです。

 映画ではニューヨークで捜査に協力するケンは棟居が幼い頃に父をなぶり殺しにした主犯格であることに棟居が気づいていながら、こらえて共同捜査をする設定ですが、小説ではなぶり殺しの犯人であることは読者のみに打ち明けられ、過去は誰にも知られずにケンは死んでいきます。

 小説から受ける棟居のイメージは精悍ですが松田優作氏が演じたぶっきらぼうで影のある野獣のような男ではなく、紳士的な男です。
 主演「松田優作」は話題性を重視するあまりに犯したミスキャストなのです。

 もう、原型をとどめていない原作無視と言っても過言ではない映画です。かけだしの森村誠一氏だから成立した映画ですが現在の森村誠一氏だったら、ちゃぶ台をひっくり返し?激怒ものの脚本です。

 出版社が作り上げた大型映画であること、メジャーの外国俳優ジョージ・ケネディに出演依頼をしたこと、本格的な海外ロケを行ったことは後の日本映画界に大きな影響を及ぼすのですが、松山善三氏の大暴走なのか、角川春樹氏の大暴走なのか、推理小説の謎解きをおきざりにした観る価値が無いと言っても過言ではない残念な映画になっています。
 デビュー間もない作家が、自分の将来を託した渾身の作品をこんな風にいじくり回してはいけません。この映画では作者の意図する『人間性』を証明することは全くできていません。
 久々観たのですが、というわけで久々☆無しです。

 西条八十さんは童謡『かなりあ』『肩たたき』『お月さん』歌謡曲『誰か故郷を想わざる』『東京音頭』などの作詞をされた方でモチーフになった「ぼくの帽子」も素敵な詩です。


「ぼくの帽子」 西条八十
 
母さん、僕のあの帽子、どうしたんでせうね?
ええ、夏、碓氷(うすい)から霧積(きりづみ)へゆくみちで、谷底へ落としたあの麦わら帽子ですよ。
 
母さん、あれは好きな帽子でしたよ、
僕はあのときずいぶんくやしかった、
だけど、いきなり風が吹いてきたもんだから。
 
母さん、あのとき、向こうから若い薬売りが来ましたっけね、
紺の脚絆(きゃはん)に手甲(てこう)をした。
そして拾はうとして、ずいぶん骨折ってくれましたっけね。
けれど、とうとう駄目だった、
なにしろ深い谷で、それに草が
背たけぐらい伸びていたんですもの。
 
母さん、ほんとにあの帽子どうなったでせう?
そのとき傍らに咲いていた車百合の花はもうとうに枯れちゃったでせうね、そして、
秋には、灰色の霧があの丘をこめ、
あの帽子の下で毎晩きりぎりすが啼いたかも知れませんよ。
 
母さん、そして、きっと今頃は、今夜あたりは、あの谷間に、静かに雪がつもっているでせう、
昔、つやつや光った、あの伊太利麦(イタリーむぎ)の帽子と、
その裏に僕が書いた
Y.S という頭文字を
埋めるように、静かに、寂しく。
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