ふたーば

乱のふたーばのネタバレレビュー・内容・結末

(1985年製作の映画)
3.8

このレビューはネタバレを含みます

お、思ってたよりエゲツない映画だった……

妙に派手でギラギラした衣装と、城門や石垣はずっしりとした物々しさ。その対比がすごい。そして人間はみな一様に不気味。前半で緊張感をたぎらせつつきな臭さをたっぷりと匂わせたあと、中盤の合戦のシーンからは血しぶきの嵐である。ギャング映画だってそこまで派手な銃撃戦はしないのでは……?というくらい火縄銃がめちゃくちゃに火を吹くし、基本的に人間は火器の前では血の入った袋に過ぎないんだな、というくらい血が飛び散りまくる。

おもろかったしめちゃくちゃ感動した場面なんかもあったのだけど、じゃあこの映画めっちゃ好きかと言われると……そこそこかな?という感じがある。これはやっぱり、自分が原作に少しだけ思い入れがあるからだと思う。

『リア王』では荒野をさまよう王と道化の問答が難解でありつつも見どころの一つとなっている。しかし、この映画ではこの2人の会話にあまり重きを置いてはいない。演出上意図されたものだと思うし、そのお陰で親子4人の対立にぐっとフォーカスが絞られて面白くなっているのだけど、ほんの少しだけ残念に感じてしまった。「この世に生まれたとき、わしらは泣いた」、「狂った世の中であれば、気狂いこそ正気」(後者は映画でも出てきたが)など、個人的にはもっと正気と狂気のせめぎ合う会話が聞きたかったのが本音である。

ただ、先に述べたようにこれが面白い仕上がりを生んでいるのも事実。特にこの映画では一文字秀虎という武将に待ち受ける仕打ちがすべて自らの業によるものであるという、独特の「因果応報」観とも言うべき演出で脚色されており、そこが実にうまい。この辺のテーマの一本化はやや強引ではあるけれど、無常観や仏教的「業」について日本は古典的な蓄積を有しているわけで、この映画にも『平家物語』などの古典文学を思わせる風格があった。『リア王』はもちろん娘が三人出てくるわけだけど、確かに戦国時代の日本に舞台を移すなら息子三人が骨肉の争いを繰り広げる物語にしても不自然はない。

しかしまぁギャング映画でも散々描かれるが、武将になるということは、悪魔と取引するようなものなのである。暴力ですべてを支配できる代わりに力を失えば何もかも失うし、大体家族とか友達とか自分が大事にしてきたものに限って、ここ一番で自分に牙を剥いてくる。

特に人物描写がどれもこれもクセがあってよかったな。主人公の仲代達矢の持つ「暴力の化身」が耄碌したじいさんとして滅んでいく変化もよかったし、敵方から娶った嫁というポジションから見事全キルに持ち込み一文字家への復讐を果たした楓もめちゃくちゃに怪しくて強い。あとすごいといえば撮影セットもめちゃくちゃお金かかってるのがわかる。燃え落ちる天守閣なんて大河でもなかなか見れない。

しかしどうにも荒野のシーンのちょっとダレる感じとか、あまりにも延々と続く過激な殺し合いのシーンとかやたら兵が落馬しまくるシーンとかがちょっと退屈だったのも事実。でも初めて黒澤作品を見て、こんなにエンタメとして面白く見れるってことが知れて本当によかった。
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