アニマル泉

スサーナのアニマル泉のレビュー・感想・評価

スサーナ(1950年製作の映画)
5.0
ブニュエルの確かな手腕を確信出来る一作だ。
冒頭、少年院の縦廊下を奥から暴れまくるスサーナ(ロシータ・キンターナ)が手前の独房まで収監されるワンショットがいい。最初にスサーナのあばずれの本性が明確に印象づけられる。この場面は縦に奥からスサーナが引きずられてくるが、本作のラストはスサーナは寝そべったまま横方向に引きずられていく。この縦と横の「引きずる」運動の対比が素晴らしい。
そして雷雨の夜をスサーナが脱獄、大農場の一家に辿り着くまでがいい。窓ガラスごしに現れるずぶ濡れのスサーナのアップが素晴らしい。本作は雨の他にも液体のイメージが強烈だ。「卵」である。スサーナが卵を梯子に登って採取すると使用人のヘスス(ヴィクトル・マヌエル・メンドーサ)に強引に抱き下ろされて卵が割れてスカートと太腿が卵だらけになる。ここはブニュエルがこだわる「高さ」の主題と「液体」が交錯してエロスを醸し出す面白い場面だ。四方田犬彦はこの場面をバタイユの「眼球譚」とゴダールの「ウィークエンド」の卵と性器への関連を鋭く指摘している。液体感を感じるもう一つは「井戸」だ。スサーナと息子のアルベルト(ルイス・ロペス・ソモサ)は井戸に潜って逢引きする。井戸の梯子を下りると途中が座れるようにくり抜かれているのだが、この宙吊りの感じが素晴らしい。さらにスサーナを探すヘススが、上から井戸の石を投げて、水面は映らないのだが、石が水に落ちる音が響くのがいい。この「井戸」の場面も「高さ」と「液体」がエロスを見事に煽り立てている。
「高さ」でいえば本作はスサーナの窓からの脱獄に始まるが、繰り返されるのはブニュエル十八番の「足」を高低差で強調するエロスだ。スサーナは家長のグアダルーペ(フェルナンド・ソレール)を誘惑しようと梯子に乗って高い窓を拭きながら足を見せつける。あるいは息子のアルベルトと脚立で書棚を片付けている時に二人共々倒れ込んでそのまま抱き合う。「高さ」がスサーナの誘惑のポイントになる。「足」に加えて本作では「胸」も強調される。スサーナはやたら服をずらして肩と胸を露出する。そして上から見下ろすスサーナの「胸」の谷間がグアダルーペを最初から誘惑してしまう。「足」のエロスの場面は、スサーナがスカートを捲って露わになった太腿にグアダルーペの指を触れさせる場面、このいやらしさはブニュエルの真骨頂だ。
ブニュエル作品では男は好色で女は淫乱だ。そして真面目な人間が狂ってしまう。本作では母親のカルメン(マチルデ・パロウ)が狂う。カルメンはスサーナとグアダルーぺの抱擁を目撃してしまう。この場面は「高さ」の主題でブニュエルが最も好む階段が舞台になる。カルメンが階段を下りてくると二人の抱擁を見てしまう。それまでスサーナを擁護していたのとは一変してカルメンはスサーナを激しくムチで叩く。「忘れられた人々」の少年ペドロが鶏を激しく撲殺するのと同じである。
メキシコ時代のブニュエルは低予算のためにカット数を減らして長回しが多い。本作もグアダルーペとカルメンの夫婦の場面は人物の動きに合わせて縦横無尽の見事なワンカットになっている。
ブニュエルは奥行きを強調する縦構図の廊下、高さを強調する階段がマスターショットだ。本作は特に画面の奥行きにもこだわっている。奥の部屋を使ったステージングや枠越しのフレームショットが多用されている。
グアダルーペがスサーナへの欲情を抑えきれずに突然スサーナのハンカチの匂いを嗅ぐのが可笑しい。ブニュエルの「匂い」は深まりそうな主題だ。
しかし本作のラストの家族団欒の不気味さはどうだろう?とても修復不可能な亀裂がそれぞれの人間関係において走ってしまった。そこにブニュエルの悪意を感じる。
コロンビア 白黒スタンダード。
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