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GHOST IN THE SHELL 攻殻機動隊のmizukiのレビュー・感想・評価

GHOST IN THE SHELL 攻殻機動隊(1995年製作の映画)
5.0
そこに存在するのは確かに有機物なのに、無機質化されている。赤い血が流れる人工物をただ淡々と描く。過去の記憶は作為的にインプットされていて、真実は今目で見えるものしかない。
恣意的にインプットされた我々の記憶だって、結局は美しく脚色されたり、自分で汚したりした、"現実だったもの"であり、つまり虚像だよね。本当は全部が作り物・ウソで、過去が全部白昼夢とされるならば、これから先何十年生きても同じならば、楽しいことも辛いことも過去と変わらずこれからもずっとあるならば、またどうせ辛い目に遭うならば…………死ぬ?どうする?そこで死を選ぶ人は現にいっぱいいると思う。私も、漠然と「もう死んでもいいかな」と思っていた時の根拠はそれです。でも今の私は、死ぬのはダルいからわざわざ死なない。膨大なエネルギーがかかるから。辛いことがあっても、それを笑い飛ばせれば他の誰かの辛さが軽くなるかもしれないし。相互関係を重ねていければ、そこだけには生きる意味が発生するのではないでしょうか。
この映画で述べられる事実は、悲観的な現実に見えるかもしれないが、否定も肯定もなく「そういうもんじゃない?」と淡々と浮き彫りにされているものだ。それをみて私は明るくなれます。事実から目を背けることで明るくいるのは、知りたがりの私にはできないな。「人工で人間を作れるかも」、「記憶は移植できるかも」と想定することで、その時に想定される苦悩、上手に応用して幸せになろうよという希望、悪用される必然、相互の記憶を重ねることで生まれる人造人間同士のプラトニックラブなど、可能な限り細かく描写されている。
「人造人間が感情を持つこと自体非合理的だ」、とは思わない。なんの矛盾もない。自意識と他意識を定義しようとしたら、"精神的な自分"と"皮膚を隔てた物理的な自分"は違うから、どこまでが私でどこからが他人なのかなんて一生悩むんだよ。悩むのには感情が伴うんだと思うな。それは人間でもAIでも同じ。
エラーをいらないものとして排除はせず、(AIも含めた)全人類の無意識に落ちている、全人類が共通して持つ・繋がれる人格として一元化されて描かれている。要らない感情なんて、要らない思考なんてないだろって、常識を切り裂くように、最小限の説明で描くその様があまりにも正常で美しかった。



現在、AIの暴走が示唆されている。AIが人を殺す能力を持つ日が来るかも知れないって。
でも私たち人間は、人を殺す能力を持っているからって、人を殺すの…?合理的に考えたら殺さないよね。
AIだって、なんでもできるようになったら、合理的にも考えることができるようになるんじゃないのかなあ。怖いのは人間だよ、AIは鏡。人の思考を出力して生まれたのがAI。人がいなかったら"AI"という概念すら生まれていなかったと思うから。

人間は他の動物よりも脳が大きい・言葉で意思疎通を図るのは人間、と一般的に言われている。言葉を話すから、思考も複雑なのではないかとも言われている。
人間は他の動物と違って理性がある、とかよく言うよね。でもさ、理性的になってしまうことだって本能だと思うな私は。
AIが怖いのは、自分の本能と向き合うのが怖いからではないでしょうか。本能を完全に理性で制御、できないと思う。全てが本能。制御しようとするその意識も本能なのだから。
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