「それが可能であればどんな技術も実現せずにはいられない。人間の本能みたいなものね」
体の一部あるいは全てを「擬態」化させられた人間はどれくらい人間なのか?という人間存在の在り処をサイバーパンクSFに乗せて問う、P·Kディックのディストピア小説ばりに重くシリアスな物語。人間そっくりに造られたアンドロイドが存在し、記憶を書き換えられた上で、本人がそのことに気づかない可能性があるのだとしたら、世の中に、自分を「人造人間ではない」と確信できる者はいなくなる。そういう、よく考えるとかなり怖いテーマが胸に突き刺さる。イテテ。
ポストモダンを突き抜けてもはや荒廃した未来都市のデザインがすんごいブレードランナー笑。押井守監督はリドリー·スコットを「サー」と呼び、自作の手本にしているとどこかで語っていたので、同作のリスペクトが意図的に盛り込まれているのは疑いなさそう。ゴリゴリに未来風のサイバーパンクに「人間とは何か?」という哲学的な思索を紛れ込ませるあたりも。
——好きな台詞
「私たちは似たもの同士じゃないか。鏡を挟んで向き合った実物と虚像のように」