真一

絞死刑の真一のレビュー・感想・評価

絞死刑(1968年製作の映画)
4.4
 舞台は、1960年前後の日本🇯🇵。死刑執行☠️に立ち会った拘置所幹部、刑務官、検死官、検事などの役人たちは、呆然としていた。定められた手順に従って執行したにもかかわらず、その在日朝鮮人の青年R👦は、なお生きていたのだ。しかも、絞首の衝撃で記憶喪失に陥っていた。刑事訴訟法は、心神喪失の者への死刑執行を認めていない。慌てた役人👥たちは、青年Rの記憶を取り戻し、罪の意識を思い出させるため、あれやこれやと策を講じるのだが…。大島渚ワールドが炸裂する、ブラックで、カルトで、ラジカルな作品🎥です。

 ※以下、ネタバレを含みます。

 青年👦とのやりとりを通じて浮かび上がったのは「死刑は廃止した方がいいかもしれないけれど、私たちにも立場があるので、とにかくもう一回だけ我慢してくれ」という役人たち👥の身勝手な論理だ。そのくせ、大戦時に兵隊💂‍♀️として戦地に赴いた彼らは「敵を何人も撃ち殺したぞ🔫」などと仲間内で自慢したりもする。そこにあるのは、戦争責任を総括しないまま「昭和元禄」をフワフワと泳ぐ標準的日本人の姿。彼らの仕草をコミカルに、かつバカバカしく描いた大島渚の狙いは、痛いほど分かります。

 最大の見せ場は、国家秩序維持が死刑執行の真の理由だと訴える検事👤と、国家秩序に逆らうために無罪を主張しつつ死刑を受け入れると宣言する青年R👦のやりとりだ。ここで青年が言う「R」は、国家秩序と相いれない「人間の性」を表している気がします。
 
【青年】僕は無罪です。有罪としようとする者がある限り、国家が有罪にしようとする限り、僕は無罪です。

【検事】われわれは、君のそういう思想を生かしておくわけにはいかないんだよ。

【青年】分かっています。だから僕は引き受けるのです。あなた方を含む全てのRのために。Rであることを引き受けて、今、死にます。

 学生運動が活発だった時代の作品らしく、青年のセリフも映画としてのメッセージも青臭さを感じる。でも批判する気になれない。死刑制度の非人道性と在日朝鮮人に対するレイシズムをここまで赤裸々に告発した作品を、この21世紀につくれるだろうか。日本社会におけるヒューマニズムへの無知、無理解をここまで生々しく描いた作品を、今の時代に打ち出せるだろうか。恐らく、難しいでしょう。

 クセが強く、人を選ぶ作品ではあるけれど、一見の価値はあると思います。
真一

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