イホウジン

グエムル -漢江の怪物-のイホウジンのレビュー・感想・評価

グエムル -漢江の怪物-(2006年製作の映画)
3.7
日本の怪獣映画とは一線を画す、コミュニケーションの“断絶”

ベースのひとつに日本的な怪獣パニックものがあるのは明らかだが、そこはさすがポンジュノというか韓国というか、独特な空気感がある。
日本の怪獣ものの特徴のひとつに「団結」があると思う。それは平成ガメラにおける少女と自衛隊の関わりだったりシンゴジラにおけるヤシオリ作戦の官民一体の反撃などに代表されるが、登場人物全員の間で何かしらの“共有された敵”が存在するのである。その団結のプロセスが如何なるものなのかが日本の怪獣ものの見どころの一つと考えられる一方で、今作ではまるでその逆を突くような展開が待ち受ける。
それは「断絶」だ。とにかく登場人物同士の意思疎通が無いか誤解されるかの連続で、日本的に観ればグダグダである。しかしながら今作ではそれが逆に魅力となっており、星と星が繋がり星座を作るのを楽しむというよりも、星一つ一つが強烈に輝くのを楽しむ映画となっている。“敵”こそ存在自体は一致しているが、それに対する想いは人それぞれで面白い。コミュニケーションの断絶の中に人間の醜さを垣間見る構成は、部分的ながら「パラサイト」にも受け継がれる。
またこれはゴジラにも共通するものであるが、「見える脅威」と「見えざる脅威」が同時に描かれる様も興味深い。前者だけ見ればシンプルな怪獣討伐映画として楽しめるし、後者だけ見ればブラックユーモアたっぷりの社会派映画として楽しめる。

ただ、家族の描かれ方については少し雑なところがある。バックグラウンドはあまり深く追及されないし、終盤の展開も一人一人の感情が見えてこない。なにより、一人一人の個性が映画内における事件のために“使った”感が否めない。中盤の食事のパートなど、とても良い場面があったこともあり、逆にこの粗さが目立ってしまう。
アメリカ側のパートももっと欲しかった。映画の制作背景を知る人ならオープニングとかの意味がわかるが、そうでない人に不親切な設計だったように感じる。

今作は監督なりに映画としての重さと軽さのバランス調整に苦しんでいたように感じる。故に13年後の「パラサイト」ではその円熟を目撃したかのようであった。
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