大道幸之丞

わが青春のマリアンヌの大道幸之丞のネタバレレビュー・内容・結末

わが青春のマリアンヌ(1955年製作の映画)
4.0

このレビューはネタバレを含みます

多くのミュージシャンに影響を与えるミュージシャンを「ミュージシャンズ・ミュージシャン」と呼ぶが、本作はそんな位置づけに近い。

正直に言えば本作は今の感覚で評するならば実に不親切で「未完成」とも呼べる作品だ。

不思議なひとときの夏の出来事を描くが、結局それが事実としてなんであったのかの結論も説明もない。

——しかし本作は「男が誰しも抱いている普遍的な美と夢」がある。寄宿舎の学生達、特に不良グループが繰り広げる喧騒は名作「アウトサイダー」が本作に影響を受けた可能性をうがかうことができる。

大きな屋敷に、幽閉され、会ったことのない筈の浮世離れした凛とした美人に出会い頭で「あなたをずっとまっていたの」と言われ、望まぬ結婚を迫る伯爵から「私を助けて」と懇願される。

しかしこのヴィンセントは刻が経つとマリアンヌの面影がいつのまにか自身の母親とすり替わってしまう。そのくせ、寄宿舎に同居することになった教授の、これまた美しい姪っ娘から際どく迫られてもひたすら邪険にする。

そしてある日、痕跡を一切残さず忽然と姿を消すマリアンヌ。——これは果たしてヴィンセントが愛する母親のイメージを「理想の女性」として、幻影として登場させたように思える。ならば「何から何まで理想の女性」になるのも道理だ。

本作は松本零士がメーテルを着想した引用元と紹介されているが、確かに松本零士の作品には慈しみを湛え美しい母親の姿が見られる。「銀河鉄道999」の星野鉄郎は幾度もメーテルの事を「どこかかあさんに似ている」と口にする。

そういった男性の、女性に常に求める本源的な母性と普遍的な美しさ(必ずしも絶対的美貌ではなく)などを踏まえ謎解きを楽しむのもよい。

そう。この作品は何かを結論づけるのではなく、観たものが自由に解釈を加える「余白」がある。観たものがそれぞれに好みのイメージとして自由に理想を抱(いだ)くことができる。

観た者に「なにか」を感じさせてくれる作品だが、果たして女性の感想は男性達の感想と近いのかは非常に気になるところだ。

余談だが松本零士の訃報とともに本作は紹介された事で、まだサブスクにはラインナップされておらず、それどころかblu-ray化もされずDVDメディアのみで視聴可能で、オークションやネットでは急激に売れている。