垂直落下式サミング

ぼくの生まれた日の垂直落下式サミングのレビュー・感想・評価

ぼくの生まれた日(2002年製作の映画)
5.0
本家ドラ泣き。
真上からのショットで、肩にかついだ巾着袋を揺らしながらスキップするのび太の背中を後ろから撮っていて、そのあと川辺の横のみちをルンルンとしているのを横からとらえ、アリンコを踏んづけないのび太の優しさを見せたあとに、大きな大木をあおいでタイトルが出る。
泣きの涙のエピソードを原作としながら、アニメーションとしても高品質。短編のなかでも、特に力の入った作品だと思う。テレビシリーズではみられないドキドキするような細やかな演出が行き届いた名作だ。
家に帰ってきたのび太が、玄関を開けて入ってくるところを、お風呂場と台所のあいだみたいな薄暗いところから撮っていて、この間取りや日の光を意識させるようなショットにドキッとする。
アニメでは何百回もみている家なのに、演出をつけるだけで、こんなに気持ちいいんだ。やたら目が楽しい。斜め上のような俯瞰したところとか、少し下から見上げるとか、カメラの置きかたがとても映画的。
両親に怒られてふて腐れたのび太が、自分の産まれた日にタイムスリップすると、昭和のそこそこ貧乏な日本の風景がディティールの細かいタッチで描かれているのも見どころ。
のび太の名前の由来の病院の庭の大木は、区画整理で斬り倒されてしまうのだけど、お父さんが走り抜けていく風景のなかには、高度経済成長の過程で消えていった貧困街みたいなのが確認できるから、そういう地区に建ってた病院だったんだろうってのがわかる。
特に好きなのは、ついに子供が産まれたとの連絡を受けたパパが、嬉しすぎて間違えて病院じゃなくて家に帰ってきてしまって、メシを食いはじめるところ。ドラえもんが「お子さん病院にいるんじゃない?」って言うと、ほっぺたについた納豆がゆっくりと垂れて、次のカットではカランと箸が茶碗の上に落ちて、そうだったー!叫び家から飛び出していく。この演出力!めちゃめちゃ粋で気持ちいいっ!
パパがかけ抜けていく病院までの道筋で、小汚ない服装の子供たちが薄暗いなか泥水のような川に釣糸をたらしていたりするのが、ALWAYS三丁目の夕日とは一線を画するポイント。子供向けアニメで、しっかりと「貧困」をみせる。
ホントなら目を伏せなきゃいけないもんを、まじまじと見てしまったような気持ちにさせられる。子供の頃にみて、心にちょっとした引っ掛かりが残ったような気分になった理由は、これか。巧妙な切り口で、社会全体の経済的な豊かさの大切さまでしっかりと訴えかけてくるのが、一筋縄ではいかないところだなあと。
おはなしもステキ。ファミリーものの最高峰だと思う。のび太が家出していくと、当て付けかのようにお友だちの家庭は幸せそうで、さらに心がズキズキするみたいなシーンかあるんだけど、最後のスタッフロールで伏線が回収される。短編として完璧。
のび太くんの誕生日は、1964年の8月7日らしい。あの頃、ガキの誕生日を祝える家庭って、どんだけあったんだろうか?おまえら、ちょっと叱られたからってへそ曲げてる場合じゃないよって、セリフでは言わないのにしっかりと伝わってくる。
のび太が新人類世代。パパママは戦中・戦後世代ってとこか。若いころ結婚してたら団塊世代なのかな。昔の苦労した人たちが言う「食えるんだからいいじゃねえか」「学校行けるんだからいいじゃねえか」って、ホントにそのとおりだなあって。貧乏ってのは病ですよ。
ホントに教育的。この歳になっても、感動しちゃう。祝福されて産まれた君はなんにだってなれるし、なんにもなんなくたって愛されてたんだから最高じゃん。
しっかし、パパママ若いころステキだな。パパはエネルギッシュだし、ママは髪下ろしててかわいいし。とても生々しく、それでいて平凡で、しっかりと男女だった。僕にも、こういう未来が待っていたらいいな、と。