horahuki

血とバラのhorahukiのレビュー・感想・評価

血とバラ(1961年製作の映画)
4.0
「あるがまま」の難しさ

レファニュ『カーミラ』を題材とした、巨匠ヴァディムによるレズビアン吸血鬼もの。200年前の吸血鬼ミラルカが現代の女カルミラに取り憑いて、結婚間近のカップルを寝取ろうとするエロティックホラー。本当に吸血鬼なの?カルミラの精神異常では?って感じの余韻を残す『マーティン』の先駆け!

でも残念ながらアメリカ版(日本のテレビ放映版も)は、ミラルカのモノローグを追加することで解釈の余地を完全に奪い、作品の魅力を8割ぐらい(私の主観😂)減退させるクソ改変が施されているのが残念…。「私は吸血鬼♫現代のカルミラに取り憑いて悪さするよ😉」とかマジで要らないんだけど…。しかも15分くらいカットされてるらしいし。

同じくハマー影響下におけるフレンチホラーの傑作『顔のない眼』と同年代でありながら全く異なるアプローチで製作された本作は、プレイボーイとして知られるヴァディムのパーソナルな一面を投影させた私的な反抗…だと思う。ありのままの姿を出せば世間からスキャンダルと言われてしまう牢獄の中で、主人公カルミラに自身を投影させるにあたり、敢えて「精神錯乱者」とまで設定した上で、自身の中の等身大なありのままの欲望に正直にかつ能動的に突き進む姿を描く。

そしてそれは「吸血鬼」であるが故に、アウトローとして、そして「終わり」を約束された存在としての退廃的な感覚が付き纏い、自身を取り巻く出口のない牢獄性・存在としての不可能性を強調する。これは完全に世間に喧嘩売ってると思うわ🤣

「あるがままの内面」を、200年前の吸血鬼ミラルカの墓(200年間誰にも発見されなかったもの)から主人公は連れ帰る。今まで墓が発見されなかったのは、世間から「あるがまま」でいることを否定された故に絶対に見つからない場所に隠されたからであって、同様に「あるがまま」で居られなかったのであろう主人公が自身の深層領域とリンクさせた「隠された墓」という内面空間から「あるがまま」を救い出すというのが象徴的。

その発見のきっかけが、ナチスドイツの残骸である地雷の爆発というのが面白い。本作は監督が15歳の時に味わったナチス占領下で見た夢が着想となっているらしいのだけど、監督自身のパーソナルな過去の記憶をこじ開けるような意図を感じさせるし、あの顛末含め、「あるがまま」でいる自由が許されない抑圧を戦時中と重ねているような気もする…。

そんでやっぱり有名な「夢」のシーンがほんとサイコーだった!パートカラーの血はウィリアムキャッスルも『ティングラー』でやっていたけれど、やっぱり破壊力が凄い!そして死と再生を同時に水に託し、その「再生」に「あるがまま」をもたらせた上での転生とするあたりが素晴らしい!!ほんとラストのモノローグが全部台無しにしてるのが悲しい…😭完全版が見たいのだけど、有名な巨匠の作品なのに視聴難易度が高すぎるのが意味不明!しかも肝心のルノワールによる映像美も思いっきりトリミングされて台無しだし…😰見たのが不完全版だから、とりあえずスコアは無難な4.0で!
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